あかんたれブルース

継続はチカラかな

臭いものにフタするな。



少し苛立っておりますので
吼えます(笑)。

大阪市立桜宮高校の体罰(による自殺)事件から
全国各地で体罰を行った教職員の報告も
発表されたりして
なにかと物議を醸しだしていますね。
そこにきて昨日は柔道連盟に
ロンドンオリンピック女子代表選手から
暴力行為、パワーハラスメントなどを訴えたという
ニュースが飛び込んできました。

この体罰問題で、
体罰自体を否定する論法は危険だとわたしは考える。

ちょっと前の状況から
荒廃・無法化する学校現場で
それを完璧に教職員から奪ってしまうことは
無法を増長させる結果になってしまう。
という意見が高まっていました。
それは正論だったと思う。

体罰を容認するのか!」

違う。誰もそんなことは言っとらんアホ。
問題の本質はそこじゃない。

まず第一に、教師の質の問題だ。
残念ながら現在の教師のレベルでは
原則論だけで教育を行う能力はないのが現実。

だから問題?
じゃあその問題をどうやって解決させるのだ。
体罰を禁止しても解決なんかしないよ。
いじめを禁止してもいじめがなくならないように。
外野が一朝一夕になんでもかんでも禁止してきた
結果がこれじゃないか。
むしろ質と内容の問題だ。

最大の問題は
子供や生徒や選手を商品化してることだ。
これは教育(指導)機関だけでなく
親(保護者)にも共通する問題だ。

こうやって問題が表面化すれば手の平を返した
ように騒ぎ立てるが、自分に危害がなければ
できれなそれでうまく結果を出してくれればいい
そう考えているのが本音でしかない。

橋下大阪市長のリアクションに
批を唱えたのは生徒、保護者、マスコミだった。
これじゃ死んだものはうかばれないねえ。

これは教育という在り方の根本を見誤っているからだ。
スポーツであろうが学業であろうが同じです。

だから体罰是々非々のワイドショーの論争は
不毛であり、本質を外して問題をあらぬほうに
追いやってウヤムヤニしてしまう結果になる
ことはこれまでのことが立証している。

教師(指導者)のレベルの問題は
まず、体罰が合理的ではなく非効率であることを
科学的に立証させるべきだと思う。
たとえば、ロンドンオリンピック
体罰指導がなければメダルがあと3つは増えたとか。

体罰神話を信奉し、それに依存している
教師(指導者)がいるわけだ。
これはレベルの問題だけれども
このレベルを篩いにかけて選別すると
現在の日本でこの条件をクリアできる者は
二割も満たないのではないだろうか。
先生がいなくなってしまう。
これが現実だ。

これは教師(指導者)の育成から
親(保護者)までの教育、啓蒙であるから
時間と根気が必要です。

また、同時に体罰を禁ずることだけで
問題解決を図ろうとするのは危険だ。
要は質と内容であり
「どのような行為であっても」という原則論は
問題を摩り替えてしまだけだ。

法令ひとつで解決できるなんて
大間違いだと思います。

体罰を問題にするのいいとしても
それが露見した場合に
問答無用で処罰するのではなく、
なぜそういうことになったのか
よく内容を吟味して
学校長、教育委員会などは対処すべきだと思う。
それでも事なかれ主義や隠蔽するのであれば
三者委員会を設置して厳重に処分を下す。

卑劣な行為は、生徒だろうが保護者だろうが
先生だろうがコーチだろうが教育委員会だろうが
断固として許さない。
そういう厳しさがあってほしいものです。

それが教育というものだと思う。
じゃないと日本も日本人もダメになっちゃうよ。
マジで