怒りの愛情物語
昨夜は久々に怒りました。
中国が北京の大気汚染を日本のせいにした
とかロックオンしたとかじゃなく
柔道界の体質とかのニュースじゃなくて
無論、自分の話でもない。
友人からのSOSで電話して
その話の理不尽に久々に憤ってしまった。
息子からの逆パワハラだ。
ただ、わたしがそこで怒ってしまうと
この泣く親をまた責めてしまうので
必死にそれをこらえたけれど
ここまでひどい話だと、正直あきれる。
といってそれをいえばなぐさめが
諸刃の剣になってしまうので非常に難しい。
育て方を間違ってしまったのかと
また友人は自分を責めることでしょう。
そんな話を真に受けて動揺しちゃいけない。
同じ土俵に立たず、いったん「断て」と言った。
いま何を言って説得しても逆効果にしかならない。
すこし遠回りになるかもしれないが
子供のことを思うのなら、いったん断てと。
でないとその子はなにか矛盾があると必ずそれを
親のせいにする。
そういう考えでは必ず社会で問題をきたす。と
半月ほど前にある親子の関係で憤ったけれど
第三者が他人の家庭のことに口を挟むのは
なかなか難しいものです。できない。
しかしなあ
世の中おかしいというか、おかしな言動をやってる
連中が自分がやってることがおかしいと気づかない
そこにあたかも正当性があると信じ込んでいるから
始末が悪い。
他人だったらね、
「好きにやればあ
責任は自分で負うんから」ですみますけど
その被害者はたまったものじゃないなあ・・・と。
もっとしっかりしないといけない。
と発破かけて電話をおえたのですが
なんか釈然としない。
夜うとうととして婆さんが二階から落ちる夢で
目が覚めたらなんか眠れなくなった。
忘れていたはずの怒りがこみ上げてきたようです。
枕元にある睡眠導入本『浄土真宗』を開く。
倫理への能動という項目だった。
「最も大切なことは、お互いに敬愛し尊重すること…」
「怒り、憎しみ、嫉み、妬みはよくない…」
無条件で敬愛したり尊重できるかバカ!
よけい腹がたってきた。
いや、百歩譲ろう。そういう心掛け・姿勢の話だ。
これは自己中心的な考えが驕りに繋がる警句だと。
書き手の表現が下手糞なだけだと。
しかしだなあ、この四つのよくない項目。
後ろから順番にまあそうだろうとは頷けても
今夜のわたしはこの最初の「怒り」に対しては
まったく納得できない。
なぜ怒ってはいけないのだ。
浄土にいけないからか。損だからか。
煩悩だからか。別に自分のことで怒ってるんじゃない。
悲しいし情けないから怒ってる。
こういうのをちゃんとしないから坊主はダメだ。
わたしは他力も念仏本願もいいと思うし
親鸞は偉いと思う。正直、好きだ。
しかし、最後の最後でクビを捻ってしまうよ。
それも結局は現世利益なんじゃないの?
わたしは親鸞の大先輩である空海が
慈悲だけでは救えないとして「怒りの仏像」を
中国から日本にもたらした事実を思い浮かべる。
ま、弘法大師の意図は他にもあったとは思いますが
この慈悲慈愛だけじゃ救えないという
空海の叡智には脱帽だよ。
最近はやたらと喜怒哀楽をマイナスに捉える
傾向が強いですが、
正当に喜ぶべきときに喜び、怒るべきときに怒る
哀しみ楽しむも同じだ。
問題はこの「正当な」というところであって
そこに敬愛と尊重があるわけだ。
慈悲や慈愛を一言で愛と表現するならば
その愛のなかに怒りもある。
体罰のことが問題になっていますが
その悪徳は悪徳として、
言葉尻だけでそれを捉えるのは浅はかこの上ない。
つまり「叱る」と「怒る」を分別しても
言葉遊びの範疇でしかないと思うよ。
真宗からして他力本願という言葉を
誤解されたまま一般常識化させている
この体たらくをもっと深く反省すべきだと思うね。
まあそんなこたあどうでもいいけれど
慈愛や慈悲だけじゃ救えない。
被害者も加害者も疲弊し劣化していく。
そういったやさしさは万能じゃないのだ。
真理とか智慧というものは
一片の矛盾があってもいけないものです。
誤った認識や見識、思い込みがあるのであれば
そこに慈愛や慈悲があるのであれば
どのようなリスクがあろうとも
それを相手に「できるだけはやく」悟らせてやる。
叱ろうが怒ろうが手法は問わない。
そんなところにこだわっていること自体が
利己そのものではないか。
世の中に悪い人間なんてそうそういるものじゃない。
どこかで勘違いしているだけなんだと思う。
それを哀しんでばかりいるのではなくて
騙そうが賺そうが叱ろうが怒ろうが煽てようが
そこはやるべきものが責任をもってやればいい。
手法の問題じゃない。
「それが正しいかどうかわからないじゃないですか!」
アホ、それじゃあ話にならないじゃないか。
わからないものは黙っている。
それをやる腹が出来てる、責任とリスクをとれる
ものがやればいいだけで
それができないものはやらないでよろしい。
そういものの権利は保障などされていません。