あかんたれブルース

継続はチカラかな

他力VS自力



他力本願って言葉をどっかの会社が
ほらあの粉飾決算をやった・・・名前が出てこない
その会社が十年ほど前かな自社広告で
タッキーを器用して、「○○しない」という
コピーを語らせた。

暴飲暴食しないとか体罰しないとかいじめしないとか
じゃなかったけど(憶えてないや)、
まあ前向きな否定形のメッセージ広告だった。
ところが、
そのなかで、「他力本願」を否定するような
一節があったんだけれど
そしたら真宗がクレームをつけた。
そう他力本願の他力っていうのは
私達が認識する一般的な意味とはまったく違う。

中国対韓国でもし中国が破れれば日本の決勝進出
とかいうのかタナボタみたいな
相手まかせの意味じゃない。

そういう誤った日本語ってたくさんあるよね。
毎年文科相が調査して発表し
ニュースのネタやクイズ番組に活用されますが(汗)

いまの日本人は完璧に自力(本願)に偏ってる。
そこにストッパーをかけようとしても
なんせ対抗馬の「他力(本願)」がこのザマなもんで
まったく説得力がないわけだ。

「なんで自力(本願)がよくないの?」

自力っていうのは自分の力でなんとかしよう
というものです。
普通に考えて悪いわけないよね。当たり前のことだ。
自分のことは自分で、ってよく教えられて育った。

ところがさ、世の中自分ではどうにもでききない
問題や課題は多々あります。
うんこしたらケツは自分で拭くとか
明日の準備をちゃんとしておくとか
宿題は自分でやる。だけですむんだったら
別に問題はないのだ。
それだけじゃないから問題なのです。

ところが、どうもなんでもかんでも自分でやってる
みたいに考えている、しまう人が多い。
自力(本願)にはそういう落とし穴がある。

なんたって人間がどう逆立ちしたって
どうにもならない問題ってあるわけだ。
宿命っていうのもそれだよね。

人間は一人では生きてはいけないものです。
そういう基本的なことを忘れてしまう。
こういった驕りが生まれるのは
自力(本願)が原因だといわれている。

もともとこれは仏教の修行の方法なのですが
結局、自力じゃ無理だって立証されて
他力に救いを求めたわけだ。

お蔭様とか、感謝の気持ち、謙虚な気持ちは
そういったなかから生まれてくるものだわねえ。

俺が俺が、私は私は、
そういうのが幅を利かせてるけれど
そういうものじゃないのだ。
ここに現代人の堕落、幼稚化がある。

「そんなこといってたら
 発展進歩向上はないじなないですか!」

いったいどう発展進歩向上しようというのか。
自分だけという考えでどんな発展進歩向上が
生まれるというのか。

自分一人で一人前になって存在してるんじゃない。
「生かされている」という感覚を身につけるには
その自力の妄信をいったん横において
謙虚になるべきだ。

親とか教育者が
「人に迷惑をかけない」と教えるのは当然として
その後には必ずセットで
「私達は必ず人に迷惑をかけて生きているものだ」
ということをちゃんと教えないといけない。

自己中心的な発想や思想
いじめはそういうなかから生まれている。
ここをなんとかしなければ
なんともなりません。