あかんたれブルース

継続はチカラかな

寄り添う美咲

美咲とわたしのお話(7)



 昨日、私は野暮用があって乃木坂に行って来ました。
 仕事の資料を探していたのですが、
 手間取ってしまって帰りは夕暮れになっていた。
 地下鉄千代田線で家路に着きます。
 休日なので電車は空いていました。
 入手した資料に目を通していると睡魔に襲われ、
 いつの間にか眠ってしまったようです。

 「新お茶の水」の駅を過ぎた辺りで目が醒めます。
 私のいる車両には誰もいない。
 ふと正面の窓ガラスに目を移すと、
 黒い硝子板に私と美咲が映っている。

 美咲?

 横を見ると美咲がうなだれてきます。
 あの時の香りがする。

 「美咲」
 「お仕事ご苦労さま。すこし、お疲れのようね」
 「ずっとそこにいたのか?」
 「いたわよ。ず~っと、此処に」
 「気づかなかったよ。どこから乗って来たんだい」

 美咲はそれには答えず、
 私に体をあずけるように私を見つめています。
 この間、羽織っていた白いスプリングコートは
 膝に置かれている。
 美咲と私の姿が向かいの窓硝子に映っています。

 「ねえ、飲みに連れて行ってくれるって
  いったわよね」
 「うん」
 「いまから連れていって」

 私と美咲は、次の湯島の駅で下車しました。

 ホームに降りると、美
 咲はコートを羽織って私の後を追う。

 コツ、コツ、コツ、と、
 彼女のヒールの音が木霊します。
 美咲は追いつくと
 私の左腕にしがみつきました。

 外に出ると風は冷たく、
 少し肌寒い夜に変わっていました。

 私は駅から近い「梟」という小料理屋に
 向かいました。
 日曜でしたが、この店はやっていた。

 店に入ると御主人の稲田さんが迎えてくれます。
 この店は彼の退職金で昨年開店させたものです。
 まだ、真新しい臭いがする。 
 彼の息子さんが料理人で
 粋な江戸風の酒の肴が評判です。

 「あれ、日曜日なのに珍しい」
 「近くまで来たもので、少し寄り道させてください。
  日曜日もやってたんですね」
 「この辺りはオフィス街じゃありませんからね。
  休日でもぼちぼちお客さんはいますよ」

 私と美咲は出口に近いカウンターに座りました。
 とは言っても客は私たちだけか? 
 奥の座敷に人の気配がするかな?

 「そちらは?」

 おしぼりを出した稲田さんが
 美咲のことを訪ねます。
 「娘です」
 「ええ? こんな大きな娘さんがいたの。初耳だな」

 「今晩は。はじめてまして、美咲といいます」
 
 「そんなことより、何か作ってください。
  今日のお勧めは?」
 私は話を中断させるようにメニューを取り上げて
 日本酒の冷やを注文しました。

 「美咲は何を飲む? 飲めるのか」
 「じゃあ、最初は、ビールを」
 「最初はビールか。そりゃいい。
  じゃあ私もそうしよう。
  稲田さん生ビールを二つ下さい」
 私は愉快に注文しました。
 そんな私の横で、美咲は神妙な面もちです。

 ふたりは少しぎこちなく、沈黙。

 私の左手と美咲の右手が微かに触れました。

 「おとうさん・・・」

 ぽつりと、美咲が呟きます。

 私は、その声が
 何処かとても遠くで
 聞こえているような錯覚に陥ります。

 記憶の中の
 何層にも重ねられた枯葉が
 静かに舞い上がるように感じました。