あかんたれブルース

継続はチカラかな

ハザードの前の危機

モラハザ(3)


さて、わたしたちが考える意識する
モラルとはなにか?

通常、「倫理」とか「道徳」と考えるものです。

倫理・道徳は微妙にニュアンスが異なり
また使用する場合も違ったりしますが
まあだいたい一緒と考えても差し支えない。
倫理、道徳=モラル
ということで話をのすすめていきます。

モラルは「善」と「悪」との抗争対立を根本にもつ
(人間の)共同体理法であるといわれます。
いわゆる社会モラルといわれる所以ですね。

モラルハザードとは、それが危ういということで
それを根底から揺るがす在り方を現象を指している。

そこから「他人を傷つけなければいられない」
というハラスメントにまで発展していく。
この件はまた後日として

モラルには社会的なものと個人的なものがある。
前者がだいたい九割で、その一部に個人的な
モラルというか生き様というか美学がある。

注がれた酒は断らないとか
飲んだら必ずラーメンを食わずには寝られないとか
同じ男とは二回以上は寝ないとか
寝るときは必ず糞して寝るとか

人それぞれにそれはあるものです。

つまりだ
二年履いた靴を返品する女にも
買ったパンプスからムシがわいたという女にも
彼女なりの正当性(モラルっていっていいのか疑問)
はあるわけだ。
それは給食費を払わない保護者も同じ。

そういう抜け道けものみちを与えてしまたのが
戦後の日本の自由とか権利の履き違えで
消費者至上主義の拡大解釈で
駅の近くの赤いカードの○○みたいな
揉めたらめんどうだからの企業であり
政治や教育なのだと思う。
おっとマスコミを忘れていた。

こうしてゴネ得神話が生まれたわけです。

本来この社会的なモラルには
それとともに超倫理的である宗教があるべき
(あくまでも民族宗教ではなく世界宗教的もの)
なのですが、日本は敗戦とともに
そういった精神的なモラルを顧みなくなった。

そういうものがさきの戦争を引き起こしたとか
そういうものがオウムや変な新興宗教を生む
みたいに考えている人も多い。
わたしだってたまに思うよ。たまにはね。

その鬼のいぬ間に
損得大明神やらワタシハワタシハ如来やらの
様々な神様や屁理屈原理主義者を生み出した。
わけだ。

ここで非常に厄介なのは、モラル(倫理・道徳)が
社会的な共同体の理法だってことです。
ということは、社会の体制がそっち側に転ぶと
そのモラルも曖昧になって
損得や屁理屈が一般常識化してしまう
危険性があるってことだ。

靴なんてものは、履きつぶしたら返品するのが
「賢い主婦の知恵袋」なんて本が売れそうなのが
恐い世の中なのだ。
賢い節税の本と紙一重ですからね。

ちょうど去年の今頃だったか
居酒屋に入店したらレジで男女のアベックが
店員にゴネていた。下駄箱に靴を入れてる間
聴こえてきた内容は予約の件。
希望日がいっぱいで予約はできないとのこと。
それじゃあ仕方ないと普通は思う。
だったら次の店をあたるのが効率的合理的
にも関わらずアベックの男が強談判してる。
みれば普通のダサイ男だ。
それを隣の不細工女が頼もしそうに見守ってる。
店員はオロオロしてる。
けったいなパフォーマンスだなあと
その場を早く離れたかった。

こういうのも民度の向上のプロセスなのか?

以前、記事にしましたが
親父の墓を建てたときに真宗の坊さんを頼んだのに
当日来たのは真言宗の坊さん。
気づいたのは読経がはじまってからだ(汗)。
それに気づいたのはわたしと
なんとボケてたはずのおふくろ!(だけでしたが)
帰りの車中でぽろっと苦言をこぼしたわけだ(笑)。
冷や汗が出た。でもあれから母のボケが治った。
その話を面白おかしく話したら
街金の銀ちゃんが
「そりゃ(業者に)言ったほうがいいですよ」
と真顔だ。

いったい誰にどういうのだ?
80歳の葬儀屋の加納さんも別に悪気でやった
わけでもないし、念押ししたわたしの言い方が
悪かったのかもしれない。それも御縁だしね。
すんじまったもの仕方ないじゃないか。
わたしも妹も面白い与太噺ができたと思ってるよ。

それともお布施半分もどせというのか?

今の日本人はこういうことに
非常にナーバスというか神経質だ。
脅迫観念がある。
苦手だから余計に頑なというか厳格みたいです。

わたしはこのようにいいかげんな人間です。
そういう世間からしてみれば不道徳で
不甲斐ない男にみえるのでしょうが
わたしはあんなダサイ男にはなりたくないし
あんな不細工な女の気を引くために
あんなパフォーマンスなんかしたくない。
銀ちゃんよりも世間ずれしてる。
たぶんこの差は一生縮まらないと思う。
嫌味じゃなくて、年齢分。

要は、
そんな常識につきあうのは
御免こうむりたいのです。
こんなわたしもモラルハザードなんでしょうか。