あかんたれブルース

継続はチカラかな

名作傑作だろうがダメなわけ

モラハザ(4)


昨夜、九時過ぎだったか
幸子から『自虐の詩』(業田良家原作の映画)
やってるよとメールが届きました。
「ちゃぶ台ひっくり返して最悪な映画。
 でもいいたいことが伝わる映画」

返信は
「そうですか。原作で読みました。
 いいたいことが伝わってもダメでしょ。チーン」

業田良家はわたしとほぼ同年代。
デビュー当時から好きでしみじとしたあの貧乏臭い
笑いのファンだった。
講談社の「ヤングマガジン」に連載していた
4コマギャグ『ゴーダ君』がデビュー作。

同年代で地方出身の貧乏くすぶりの笑いには
ペーソスというか味わいがありました。
今でも好きですよ。

そんな貧乏アパート暮らしのゴーダ君(本人)の
生活にあるときから変化が起きる。
母親が上京して同居しはじめたのだ・・・
それをギャグのネタにしているんだけど
わたしは笑えなかったな。
なんか胸をしめつけられるような動揺があって
勝手に業田良家の生い立ちや近況を想像した。


その後「週刊宝石」から『自虐の詩』が連載され
大ヒットして映画化もされた。わけだ

この作品のモデル
「幸江とイサオ」はゴーダ君の母と父だ。
と思う。
どこかにそういう表記があるかもしれないし
ないかもしれません。
わたしは裏づけをとっていませんが、
まあそうでしょう。

「・・・最悪な映画。
 でもいいたいことが伝わる映画」

幸子のいわんとすることはわかるけれど
わたしは観たくないな。
体調とか気力、気分のせいもあるのかも。

モラハザからの発展形として
DVやパアーハラスメントなど
力の優位性や力の支配に依存しようとする。

身を持ち崩す悲痛や苛立ち
見失う不安の焦り、いろいろあると思う。
でもさ、そういった悲痛は自分だけのことじゃない。
周囲や家族のそれはまた深いわけで
その痛みや悲しみは気持ちがあればあるほど
つらいと思う。
愛というものが、そういうところからの
産物だとすれば、そりゃ悲劇だし喜劇だ。

「・・・ いいたいことが伝わってもダメでしょ」

ダメなものはダメだ。
わかっても何も誰も救えない。
いや変えない。
と思いつつ、あれはギャグマンガだったんだよな
とも思い返す。
はたして、業田良家の伝えたいことが
どれほど伝わってヒットして映画化されたのか
自虐の詩』の連載開始は1985年
いまから三十年も前です。

伝えたってなにもかわりゃしないよ。
はやい話が伝わってなかったんじゃないの
それだったら
まだ西原理恵子のほうがマシかもね。

その前の昨日の昼間
幸子から西原が前夫を引き取るかどうかを悩み
それを相談し、引き取って看取った
そのアドバイスをしたのが高須クリニックの院長
だって話を聞いた。
なんかメルヘンを聞かされたようでした。

この高須克弥さん、真宗の坊さんでもあるそうな。
現実は小説より漫画より奇なり
二人の結婚にあらためて祝福をおくるよ。


自虐なんてダメだ。


仏教では卑下慢といって戒める。