あかんたれブルース

継続はチカラかな

おかしなひとたち

父の書棚(5)


父は本当はやさしい心根の人だった
高校時代、父と血だらけになって
殴りあったけれど
わたしが上京して世田谷で一人暮らしを
するようになるとよく芝浦から訪ねてきて
泊まっていくようになった。

父はオイルショックの後
世の中にどつきまわされていた。
実際に職場で殴られてお岩さんのような
顔で訪ねてきたときは驚いた。
気性の激しい人で小桜一家という
鹿児島の暴力団員も顔をしかめた人だった。
喧嘩には自信があったのでしょうが。
多分、非は父にあると思う。

芝浦でタグボートに乗っていることを
とても恥じていた。
二千トン級の機関長
この肩書きが資格が
このプライドが父を苦しめていた。

それがうつ病の原因となり
てんかんの発作を併発させていた。

わたしの一人暮らしのサマをみて
はやく結婚しろといってくれた。
母が聞いたら卒倒するだろうと思った。
母を愛してるという言葉も聞いた。
話半分だなと思ったけれど(笑)。

このときの父は母も妹も知らない父だった。
とてもやさしくて男同士の話もした
数少ない成長してからの
父との思い出でもある。

また、仕事をしくじって
鹿児島に帰るという前の晩に
発作が出た。
とても強い発作で明け方まで続いた。
その日は月曜日だったと思う。
仕事を休んで羽田まで父を連れていった。
とても電車に乗せられる状態ではなかく
タクシーを使った。
車中で父はずっと泣いていて
わたしの手を握ってはなさない。

夏休みの時期で羽田は帰省客で溢れていた。
父は泣きじゃくりわたしにしがみついたままだ。
一人にしないでくれと。
心細くて不安で泣きじゃくる
負け犬の父
わたしたち親子を帰省客が奇異の目でみる。
航空券なんてない。
キャンセル待ちなんてとても無理。
係員に事情を話したらヤブヘビで
そんな客は乗せられないと断られた。

新幹線にするしかない。
ポケットの残金をみて、東京駅まで
タクシーは無理だと悟り
モノレールに乗ったが流通センター前で
発作が起きた。
扉が開くまでの数秒が長く感じた。
外に出した途端発狂した父が走り去っていった。
どこにこんな脚力があるのか
わたしは父を見失った。
そしてようやく倉庫の奥で取り押さえて
そこからさき、意識を戻さない父をどうしよう。

救急車を呼んだ。

それから大森の緊急病院での大立ち回り。
意識を取り戻した父は修羅だった。
あの病院長の正論の恫喝が忘れられない。
わたしたち迷惑な親子はうなだれて
タクシーで世田谷に帰った。
だれも同情なんかしない。
タクシーの運転手でさえ迷惑そうだ。
車中でまだハッタリをかます父。
それを宥める息子
車窓が濡れている。外は雨だった。
だから濡れていたんだ。


駅前の公衆電話から母に助けを求めた。
はやく連れて帰ってくれと。
そのとき二十歳だった。
不覚にも泣いてしまった。
母の声を聞いて緊張が途切れたのだと思う。
心細かった。

三日後に母が迎えにきてくれた。
今にしておもえばよく切符が取れたものだ。
どういうわけかわたしのアパートで
親子三人の生活がはじまった。
和気藹々と思いきや父は一転して暴君となり
母をなじりだした。
聞くに堪えなくて外に出ると
外で大家が聞き耳を立てている。
この上品そうな婆さんはロクな奴じゃなかった。

航空券が取れ次第はやく連れ帰ってくれよ。
新幹線でもいいから。
そのとき母が明後日の方向をみて
夢見たさんのようにつぶやいた。

「私は一度船旅がしてみたいな~」

わたしの母は暢気というか豪気というか
ちょっと足りないところがあって
状況をまったく把握していないアホだった。

「なにバカなこといってるんだよ」

このついうっかりを父は聞き逃さなかった。
翌日、わたしが出勤した後でどこかに
出かけていったそうだ。

横浜までいってフェリーの切符を買って来た。
個室の二等か三等席だったけれど
その値段は航空券より数千円高かった。

この連中はバカか!

ま、これでも聴いてくれ
http://www.youtube.com/watch?v=3vBUWfNCGLI

最初の出だしだけでいいよ。
これがわたしのいまの精一杯の・・・
なんだろうねえ(?)。

そして、帰る朝
母が心細そうな顔をするから
そっと二万円握らせた。
本当は三万円渡したかったけれど
この間の羽田事件やらなにやらで結構使って
手持ちがなかったのだ。

数日後、母から手紙が届いた。
無事、着いたと。
初めての船旅は最悪だったそうです。
船室にコモッテ父の説教三昧。
苛まれ続けた太平洋サンフラワー
食事は買っておいた菓子パンだったと。
ああ、イライラする。そんな話聞きたくない。
そして、船が到着したのは、宮崎。

ええっ、宮崎い?

父ちゃんこれからどうするの?
お前はいくら持っている?

そのとき、
馬太郎、お前がくれた二万円が役にたったよ。
それで鹿児島までタクシーに乗って
そこからバスに乗って帰りました。
ありがとうね。

タ、タクシーで、ですか。
宮崎港から鹿児島まで・・・
あなたたちはバカか!

「馬太郎さん、人生とは?」

喜劇だ。