あかんたれブルース

継続はチカラかな

血は水よりも



幼い頃の古い記憶の一群のなかに
人妻の白い柔肌とその首に
怪しく光る銀のネックレスがあります。

あれは幼稚園に入る前だったので
三歳ぐらいだった思う。
母と銭湯にいって
脱衣所で服を脱がされていたら
母が隣の母子と親しげに話していた。
その子はわたしと同じくらいの年頃でした。

浴場に向かうとき母から
あの母親が継母だと耳打ちされた。

わたしはあの男の子に対して
ある種の同情を感じ、そして二人をずっと
観察していた。
いつあの継母が豹変して
あの男の子を湯船に沈めはしないか
洗い場で折檻をはじめやしないかと。
この年齢ですでに
そういうイメージが植え込まれていた
わけですね。

風呂からあがるのも同じ頃合で
脱衣所で体を拭いてもらっている間も
わたしの警戒体勢は解除されない。

白い柔肌とその首に光る銀のネックレスは
そのときの強烈な印象として
いまだに残っている。
この残像から
かなり至近距離で並んで
体を拭いてもらってのでしょう。
男の子もこの若い後妻の顔の記憶も
まったくない。
記憶に焼きついたのは
白い肌と首にまかれた生活感のない
場違いな細身の銀色のネックレス。だけ

きっといまは人目があるから
優しそうにしてるけれどきっとたぶん
家に帰ったら鬼みたいに変身するんだ。
そう自分に言い聞かせてた。

それがわたしたち時代の継母の偶像であり
母がいなくなってしまうこと
継母がきていじめられること
これがわたしたちの不安と恐怖だった。
もうすこし成長したらは「転校」でした。

わたしにとって母親というものは
若くて綺麗であってならない
細身の銀のネックレスなどは要注意だった。
おかげで小学校時代に
級友の若くて綺麗なお母さんをみても
さほど羨ましがらないですんだ。

母親というものは浅黒く肉厚で逞しく
銀のネックレルなど似合わない
太く短い首をしたもので
そうじゃない母親は継母だ、と。

究極の選択
どっちをとるの
そして、継母というものに対する
早すぎる固定観念


血縁について以前、記事にしたことがあった。
不妊治療とか里親、幼児虐待などに
関連してのもので
「血は水より濃い」という言い伝えに対し
商家の婿養子の話や
士族の家名存続とかがいつのまにやら
どこの何様でございますかに
なってしまったとか。
錯覚、思い込みですかとを結論付けた。

そういう思い込みの呪縛を解きたかった。
それが主旨です。

「それでも私は血縁にこだわる」
という進歩的文化人みたいな言論の番人の
逆張り意見は「ツッコミ処が違うよ(汗)」で
笑って聞き流しましたが
「財産問題」をあげてきた六十代女性には
う~んと唸った。
血は鉄(金属)の味がするわけだ。

わたしの知り合いの息子はさんは
子持ち女性と結婚したのですが
この連れ子というのが可愛い。
と彼女はいう。
まったく血縁がないのに可愛くて仕方ない。
(ケータイ動画でわたしも拝見しました)
容姿じゃないんだな。
さらに、この子持ち女性つまり嫁が
可愛くない(汗)。
気性が荒く、ここに嫁姑の対立がある。
それでも、自分と血が繋がっていない
この鬼嫁の血を半分受け継いでいる子が
可愛い。

なんなんだろう、これ?
不思議。

血が繋がっているからどうのこうのって
実はあまり関係ないんじゃないのかな。
だって恋愛はその外側で
芽生えて家族が生まれていくんだもの。
また、そこまでいかなくとも
強い絆は生まれる。
血縁がなくとも、ときにはそれ以上に・・・。
北島三郎のナンバーから
http://www.youtube.com/watch?v=a4_q-Obm2c4


血もまた方便。ではないだろうか