あかんたれブルース

継続はチカラかな

正しい変態における課題

許さざる社会(3)


シュタイナーの人間の七年周期説の話は
以前にも話したので記憶にあると思います。

人間は生まれてから七年の周期で
新しいステージになかば強制的に移動する。
変態というようなもので
お馴染みのあの変態ではなく
生物学的変態でいうところの
卵→(孵化)→幼虫→(蛹化)→蛹→(羽化)→成虫
というものです(完全変態)。

この七年の時間の裏づけには
人間の細胞が入れ替わるのに要する時間
だとされているようです。

ま、成長のプロセスですね。

わたしが発達障害を特定の児童
およびその親との遺伝関係云々だけに
それを適応されるのはおかしいのでは
ないかというのは、

子供だけでなく大人の在り様に
この発達障害を垣間見ることが多々ある
からです。
無論、そこには社会環境も大きく影響して
いるわけですが、それとの因果関係も含めて
思春期から青年期の
7(歳・年)×5=35歳ぐらいまでの
成長(体験)期間のなかで
その課題を受け止めてこなかったのではないか
と考えるからだ。

それがストレスやプレッシャーに弱いとか
指摘されているわけでしょうが
そういうことは他人事だからいえることで
自分のことは棚に上げているのが
だいたいのものだったりする。
幸か不幸かそこまでの挫折を味あわなかった
か、よっぽど想像力の欠ける鈍感か。

わたしはうつ病の人の愚痴を聞きながら
「こりゃ欝にならないほうが変だよ」と
マジで同情したりするものでした。

どっちがマトモなんだろう?
マトモってなんなんだ?

うつ病統合失調症パニック障害
そして発達障害も歪な社会環境に対する
拒絶反応、アレルギー反応じゃないのか。

無論、そこには成長過程に
なすべき課題・プロセスをすっとばしてきた。
という個人的な問題もあるでしょうが、
それを個人だけの責任にしていいものなのか?
親にも教師にも学校にも社会にも
みーんなに責任があるし
それをこのままにしておくことが
不味いんじゃないかと思う。

蛹から成虫になるときに
羽化というプロセスをすっ飛ばした。
そんな翼なんか必要ないと。
夢なんかみないで現実を見ろと。
いま頑張って我慢しなければ
一生苦労して泣きをみると、脅して賺した。

人間にとって必要とされないという
その夢とか翼は生きる力だ。
そういうものがないことこそ、つらい。

これをキレイ事といえるかな

まず、親は我が子が幸せに生きられる
ことを第一に考えるべきだと思う。
他人と一緒じゃなくてもかまわない。
第一、それぞれ違うんだから
みんな一緒っていうこと自体が変だよ。

これは親のセンスが
試されているのだ。