あかんたれブルース

継続はチカラかな

提督の決断



いまから27年前
スリーマイル島チェルノブイリ
原発事後が相次ぎ日本でも反原発運動が
盛り上がっていた時期がある。

深夜の討論番組で電力会社の現場責任者が
出演してパネリストたちの質疑に応答していた。
テキパキと部下に指示を出して参考資料を
用意させていた。
週明けに広瀬さんとの打ち合わせの雑談で
そのときの電力会社の担当者の対応を
広瀬隆さんは
「まるで軍人のよう」と感想を述べていました。
確かに、有能な指揮官という感じだった。

それから反原発運動も下火になって
3.11から福島原発の事故が起きた。

東電や政府の対応に批判が高まった。
再び広瀬さんは脚光を浴びて
講演会やテレビ出演の映像がネットでも
紹介されました。
浜岡を止めろ!が最優先のテーマだったと思う。
このブログでも紹介しました。
情報が錯綜していて混乱していた。
誰の言う事を信じていいのかわからない。

そのとき、広瀬さんが福島原発事故
「なぜ海水をかけたのか」と問題視していた。
塩水をかければサビる。
こんな常識は中学生でもわかると。

わたしにもそれは理解できたのですが
ちょっと引っかかった。
それ以前に、反原発運動の手法について
長年の疑問があった。
そのことは過去記事を確認してくれればわかります。
ただし、断っておきますが
わたしは自身は基本的に原発反対です。

今朝のニュースで
福島原発の吉田所長死去を知りました。
喉頭癌だったそうです。
原発事故当初の彼の陣頭指揮は
本社の重役に「混乱させないでくれ!」という
大きな声が印象的だった。
現場は大変なんだと痛感しました。
マスコミは批判して糾弾している。
それは必要なことだと思う。
しかし、事態はまだ収束していない。
現場はそのときも戦っている。
私たちはテレビで傍観している。

電力会社にとって原発は戦艦なんだそうです。
所長はその艦長なんだと。
吉田所長は艦長だった。
まるで軍人のようだった。

昼飯のときにテレビを着けたら
吉田所長を紹介するコーナーがあって
上にも下にモノがいえる
東京電力社員らしからぬ人物で
部下からの信頼は絶大だったそうです。

事故当時、海水をかけて原子炉を冷やした件は
吉田所長の独断だったそうです。
東電も政府もそれに躊躇したそうです。
ひとつは廃炉にしたくなかったから
もうひとつはやはり海水なのでサビの問題

しかし、現在においてそれは英断だったいう。
もしあのときそれをやらければ
もっと大変なことになっていただろうと。
吉田所長の存在と決断が最悪の危機を救ったと。

確かに、海水を使用することが最善の方法では
なかったかもしれませんが、あの状況で
なにをどうできたのか?

日本には「死んだ子の歳を数える」って諺がある。

マスコミは掌を返したように
吉田所長を賛美する。
まあそれでも、賞賛してくれるからいいけれど。

責任をとらない日本。
責任をとらないことが大事な社会。
そんななかで、吉田所長は責任を取っていたと思う。
軍人ぽかろうが軍艦の艦長だろうがいいじゃないか。

艦長は艦船と運命を共にする。

あの人はそうしたんだなあと思った。