あかんたれブルース

継続はチカラかな

俺もお前もカレー好き



ネットの質問コーナーである主婦が
公園でケガして泣いている子供を見つけたそうです。
駆け寄ろうとしたら一緒にいた夫から
親が出てきてあらぬクレームをつけるられるから
関わるなと止められたそうです。
夫は公園の係員をみつけて、そのことを報告し
その処理を託したそうです。
それになんとなく納得がいかない主婦。

その質問に対するベストアンサーは
「私も同じ経験をして理不尽な思いをしました」
ということで、夫さんの判断が正しい。
というものだったそうです。

なんというか世知辛い世の中というか
これでいいのか日本、日本人って感じですねえ(汗)。
こういうことが常識化していくことに寂しさを感じる。
これこそが環境の悪化ってものだと。

すこし分析すれば、この主婦の衝動は健全だ。
ところがそういう行動を否定批判する。
甘いと。
そういう感情のままに行動するのは「迂闊」だと。
そうなのかなあ?
一番の問題はそれに対してクレームをいってくる親。
いや、クレームの中身の問題だから
モラルハザードの親、大人達
こいつがすべての元凶だ。
しかしこういう連中が野放しで増殖している。

質問者の夫さんも回答者も
そういうことを見聞、いや実体験して学習したので
そういう対処法をとるようになったと
考える。元凶はやはりモラハザのバカ親だ。

こういうバカな人が増えている。

そういうバカな人は昔からいたでしょうが
少数派であったはずです。
そういうバカな人を注意したり諭したり叱ったり
ときどきは殴ったりする人もいました。
いました。わたしはみて育ってきた。

ところが、いまそんなことをやったら
注意した人が、注意される非難される。
「関係ない」とか
人権がどうだこうだととか。
諭したりしたら「上から目線」だ
「何様だ」となる。
揉めたりしたら泥試合だ。
あまりの理不尽にカッとなって殴ったりなんかしたら
理由はともかく殴った(暴力)ことだけが
問題視される。

注意する側に「完璧」が求められるので
なかなか注意しづらくなってしまった
これも環境の悪化です。

なんでこうなっちゃったんだとう。
その分岐点は1970年
もう戦後ではなくなった宣言をした
あの年からじゃないか。
日本は豊かになった。国民総中流意識
貧乏人がいなくなってしまった。
いや、貧乏がいいっていうことじゃないですよ。

マキャヴェッリはこう言った。
「国家が秩序を保ち、
 国民一人ひとりが自由を享受するには、
 清貧がもっとも有効だ」

バブルの頃、『清貧の思想』(中野 孝次)が
ベストセラーになりました。
赤貧じゃないよ、清貧だよ(汗)
あの頃、あまりの狂乱に躊躇する日本人も多かった。

「生活を極限にまで簡素化し、心のゆたかさを求めたわれらの先達。
 西行・兼好・光悦・芭蕉良寛など清貧に生きた人々の
 系譜をつぶさにたどり、われら今いかに生きるべきかを改めて問い直す」
だそうです。
あのとき、もう一度貧乏を懐かしがった世代もある。
ノスタルジックと笑われそうですが
三丁目世代の記憶はそう悪いものじゃなかった。

豊かさってなんだろう。
貧しさってなんだろう。

ルイ隊長から「貧乏」は環境の問題になるか?
という際どい質問を頂きました。
つまり貧乏(もしくは裕福)という環境が
その人に影響するか
どうか

いうことです。

熟考12秒。貧乏は関係しない。と答えた。

突然「昭和かれすすき」が過ぎった。
一緒にまあ聴いてくれ
http://www.youtube.com/watch?v=y0r3Chud5Fc

貧しさに負けたんじゃない。
世間に負けたんだ。
あの夫さんもベストアンサーの回答者も。

昭和には昭和の歌がある。
http://www.youtube.com/watch?v=kAWZloNBr8c
俺もお前も枯れすすき

えっ? モラハザの親?
そんな人知りません!