あかんたれブルース

継続はチカラかな

がしんたれの意気地



「貴人に情なし」なんて申します。
パンが食べられないのなら
ケーキを食べればいいじゃないの
みたいな、感じかな。
足場立場の基準が違うんでしょうね。

よく神様は無慈悲だなあと思うときがある。
こんな悲惨な、こんな過酷な、ことを
よくほおっておかれるものだと。
神も仏もないものか
なんて台詞はよく聞きものです。

神様にとってそんなことは大したことじゃないんだ。
つまりそんなことはそんなことでしかな。

それは、わたしたちが道を歩いていて
アスファルトの隙間から雑草が芽を出し
健気に花を咲かせているいようなもので、
そのことに感銘は受けても
それ以前にそれを察して
アスファルトを掘り起こして
近所の住民に通報されて
市の職員と揉めたり、
警察沙汰になったりとか
しない。
そんなものなんでしょう。

菊田一夫の自伝からその生い立ちを読み返して
しみじみ、過酷な運命が必ずしも即不幸とならない
と考えさせられる。

生まれてすぐ養子に出され、
この親にも捨てられ、
転々と他人の手で養育された末
5歳のとき菊田家の養子になった。
この菊田のお父さんが小学校二年のときに亡くなって
養母再婚した何回目かの夫に進学させると騙されて
薬種問屋に売られ、年季奉公をつとめた。

そのとき菊田一夫
「俺は孤児なんだ」と痛感したそうです。

ここで、拗ねるか踏ん張るかは本人次第。

菊田一夫とは、日本の演劇史に名を残す
偉大な劇作家です。

成功者を生む要因のひとつに
こういう苦難(のプロセス)がある。
成功者のパターンを読み取るとこういうケースが多い。
シャープの創業者早川徳次とか
森永の創業者森永太一郎とか
浅野財閥創始者浅野総一郎とか
枚挙に暇がない。

でも成功者というものは一握りであって
その多くは途中で挫折して酒や薬や犯罪に手を染めて
泥沼に身を持ち崩すことは少なくない。
知り合いの元刑事さんが
取調べ中にその職務を忘れるほどに
容疑者の身の上話に動揺することがあって
困ったと零していました。

また、成功者といっても
その成功の尺度をなんではかるかも問題で
必ずしも社会的な栄達だけが幸せとは限りません。
要はその人の姿勢、気持ちの持ちようだと思う。

菊田一夫
自分を孤児だとカンネンしたとき
彼を踏ん張らせたものはなんだったんだろう?

人間っていうものは、
凄いなあと思う。

神様もそう感心してると思います。
それは、私たちがアスファルトのほんの小さな隙間から
芽を出して花をさかせる雑草に足を止めるように。

どうだ参ったか神様。