あかんたれブルース

継続はチカラかな

ビートルズだって認められない



審美眼というのがありますが
審美聴なんてもあるのかなあと考えさせられました。

ビートルズっていうのは20世紀に音楽史において
もの凄い影響力を与えた
と今では誰でも認める。

ビートルズが日本に来日したのが1966年。
日本武道館を使ってのコンサートに
怪しからんと反対した文化人もいました。

その伝説のコンサートの三年前の1963年
東芝レコード(現・東芝EMI)の高嶋弘之は
最初のアルバム「プリーズ・プリーズ・ミー」を
聴いて、なんか面白いと感じた。
もしかしら・・・ぐらいの気持ちで
それをもって各放送局をまわったそうですが
ほとんどの人が興味を示さなかったそうです。

あの、ビートルズをですよ。
こんなもんなんだよね。
プロっていわれている人が、一番敏感な
感性がなければならない人たちが、これだ。
これが現実です。

では、なんでビートルズは受け入れられたか。
この高嶋という男の確信、思い込み、暴走からです。
注目されるような仕掛けを行っていった。
東芝の社員をビートルズヘア、ファッションにして
マスコミで話題にしてもらったり、
日比谷高校の生徒を使って電話や葉書で
ビートルズの曲をリクエストさせたり
なかには他のリクエスト葉書を改ざんしたとか(汗)

ヤラセだったのだ(汗)

そして、ビートルズはブームになる。

そうまでしないと受け入れられないって
考えさせられませんか?
あのビートルズでさえも・・・

わたしたちの価値観ってなんなんだろう。

わたしは昔からブームに遅く
世間のブームとマイブームにニ、三年の
ズレがある(汗)。
そこに信念なんて言葉いれたらペケです。
きっと固定観念とか保守的とか頑固、トロイ、臆病
食わず嫌いなんでしょう。

さあって、テラミスでも食いにいこうかなあ。
それともマンボでも踊るか。

そうそう、なかなか認められないのが
世間っていうものです。
世間とは
そういうものでいい加減で当てにならない。