あかんたれブルース

継続はチカラかな

もうその手は古いのさ


風立ちぬの喫煙シーンは条約違反だ!」 
日本禁煙学会の苦言に批判殺到
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130814-00000005-jct-ent

出ました。市民団体のやり過ぎ行動。
よくやってくれた。ナイスな過剰反応です。
おかげで「それは変」という意見が高まった。
なんといっても茂木健一郎氏の意見が
大きな牽引力になったと思いますが
やっぱりみんなこの異常さに辟易してた
ってことですね。
もしかするとこのアホな社会環境が
改善されようとしてるのかもしれない。

トリックスターさんも同様の記事をアップ
http://blogs.yahoo.co.jp/trickstar2003jp/53692165.html

なんかさ、世の中変わるかも
というか、ここまできて
おい、いい加減にしろよ!って感じ

これも韓国、中国のおかげ
日教組のおかげ
大阪教育委員会のおかけです。なんまんだあ

わたしはさ、思うのよ。
ちょっと前だったら近現代史とか
戦争のことを書いただけで
右翼扱いされたものです。六年前ぐらいはね。
できるだけフェアにと思って
伝えるように心掛ければするほどに
今度は左翼だいや右翼だってうるさい。
こんなことがあった
わたしを左翼だっていうものがいて
頭山満のことを例えてその言葉を添えたら
混乱させてしまったことがある。
右翼=頭山って図式があったんでしょうね。
だから左翼だって決め付けていた相手が
「そうじゃないだろう頭山満は・・・」で
パニックを起こしたんでしょうね。

わたしは右翼でも左翼でもない
わたしは鳥じゃない。

ここ最近は原発だ。
わたしは基本的に原発反対ですが
何がなんでも原発ゼロを訴える人たちとは
歩調を合わせられない。
だって廃炉はどうするのとか
いろいろあるじゃない。
そういうと「推進派」みたいにいわれる。
うんざり。

そういう運動をやっても
中間層の人たちはドン引きするだけ
贔屓の引き倒しってまさにこのとこだ。

どうして右か左かの二極論にしちゃうのかな?
わかりやすいから?
そんな単純なものじゃないけどなあ・・・

あまちゃん』で時間は後戻りしないという
福音を述べておりました。春子さんが(笑)
そして、元通りにはならなくと
また新しく始まっているとか結んでいた。

すべてはプロセスなのだと思う。
だから過去を反省することはいいとして
そこから学び、今後どうやっていくかだ。
傷だらけでもツギハギだらけでもいい
まっさらな綺麗なものなんて有り得ない。
それを求めるところに無理があるんじゃないかな。

敗戦、東西冷戦、アイゼンハワー原子力政策
そのなかで日本の原子力発電はスタートした
反対の意見もあったけれど
それは打ち消された。
国民がその恐さを不効率さを理解していなかった。
オイルショックがあってバブルがあって崩壊し
そして地震が起きて津波原発事故が起きた。
その収拾さえままならない。
だから同じことを繰り返しちゃいけない。
どうやって廃炉にするか
廃棄物の処理はそうするか
エネルギー問題をどうするか
まずそれが第一の問題であって
原発ゼロのお題目は、目標であって
このような問題を先送りにして
お題目ばかり唱えていても仕方ないと
思うわたしは原発推進派?なのか?

どっちにしてもどっちからもバッシングを受ける。
わたしはそんな連中のどっちにもつきたくない。
みょうな屁理屈を宣まいだしたら
どっちも噛み付いてやります。

トリックスターさんの記事を読んで
思ったのは、あの頃の道のあちこちに
あったうんこ
あの緊張感を忘れている。
ちょっと気を抜けばうんこ踏んでしまう。
衛生的なんかじゃない三丁目の夕日
踏んだら最後、間抜けの烙印を押される。

「こんなことあってはならないんです!」

そんな主張なんて通らない。
なにを前提にして、いったい誰に言ってるの?
あってはならないことがあるのが世の中で
それをやらかすのが人間だ。
過信してるんじゃないか?
迂闊なんじゃないか?
権利とか正論とか法律とか制度とか人間を

いろいろな意見はあっていい。
自分の意見に責任をもてるのであれば
どんどん言えばいい。
責任のもてないことは、言わない。
考える時間はあるさ。
すぐに反応しなきゃならない
その事情って、なんなんだろうねえ