あかんたれブルース

継続はチカラかな

恐いもの知らずの代償


はだしのゲン閉架措置に下村文科相「問題ない」

http://www.excite.co.jp/News/society_g/20130821/Mainichi_20130822k0000m040020000c.html

だってさ
これで一部のクレームに対処する場合の
「問題のない」対処法として今後
全国の教育委員会で指導マニュアルと
なるんでしょうかねえ。それでいいのかなあ
大臣までなった人だから事の本質を
外してはいないでしょうに・・・
それを踏まえて、あえてこう表現するわけか。
なんか恐いなあ

「日本は法治国家なのです。
 それでいいに決まってるじゃないdすか!」

でも実際に、そんなこんなで教育現場は混乱し
荒廃してるんじゃないの。
法律や制度が守ってくれるんなら
みんな苦労はしないと思いますけどねえ・・・


これまで、なんでもかんでも規制して
子供を過保護にすることを問題視してきました。
それは学校教育だけじゃなく
家庭教育でも同じ。

危ないから子供に刃物を持たせない。
子供に刃物の危なさを覚えさせるために
刃物の扱い方を教えるんじゃなのか?
まあ、いまどき刃物で鉛筆削ったり
竹細工を拵えたりすることはなくとも
脅しのために学校に刃物を持ち込んでいけない
刃物は自分を他人を傷つける
傷つけると痛い
は、自分で傷ついてみないとわからないものです。

なんにしても、いまの日本人は
若者だけでじゃなく、恐いものを知らない。
忘れている。

最近、若いアルバイト店員が
冷蔵庫のなかで寝転んだりソーセージを
咥えたりピザキジを顔にパックしたり
それをツイッターで画像アップする問題が
多発してるみたいですね。

わたしらも若い頃はよくやりました。
いまでもタマにやるよ。

しかし、ちょっと行き過ぎなようで
足立区梅島にあるステーキチェーン店は
それが原因で店舗を閉鎖したそうな。
自発的みたいですけどね・・・
その損害賠償を問題を起こしたアルバイト店員に
請求するとも聞きました。

それに対して、厳しすぎとか
見せしめだ、みたいな意見もあるんでしょうが
わたしはある懐かしい恐怖を思い出していた。

それは置き石です。

わたしら腕白いらずら三丁目の夕日世代にとって
これをやったら不味いという御法度だった。
置き石とは線路の上に石を置くもので
カラスもよくやるみたいですが
これがああた列車転覆の大事故につながる
でなくとも列車が止まる
それでもって莫大な賠償金が親にいくわけだ。

カラスには請求できないが
人間の子には保護者が存在しますからね。
だから母親にクチを酸っぱくいわれたものです。
置き石だけはするな、山登りなんてするな、
小股のきれあがった女には入れ込むな!

そういう強迫観念を植え付けられて
わたしたちは育ったのだ。
それがある種のボーダーになっている。

若者が冷蔵庫で何しようが
どんなワルふざけしようが、わたしは実は
あまり目くじらはたててない。いやたてられない。
問題は、それをツイッターで自慢する行為だ。
内々だけの与太噺だったらよかったのにね
と同情もちょっとはしますが
やったものは仕方ない。カンが悪かったのだ。
そういうカンの悪さじゃこれから先もっと
大きなしくじりをやるでしょうから
それを考えたら安いものだよ2000万。

そういうイタズラやワルフザケは
肝試しみたいなところがあって
こんなことできるぞという自己主張
デモンストレーション、パフォーマンスだ。
いかに大物であるか
個性的であるか、みたいな

しかし、そういったものには必ずリスクが伴う。
学校だったらキツイ叱責や体罰、制裁んなど
調子にのってると彼女の心証を損なって
取り返しのつかないことにもなりかねない。
それでもパンツを被るか馬太郎(涙)

ツイッターとかなかったら
よかったのかもしれない
でも、時代は違うし
ツイッターはそこにあったわけで
そしてやっちまったんだ。
むしろ、
その行為に対するリスクを読み取れなかった
迂闊さが問題なんだよね。
というか、リスクを感じないところが
想像力のなさであり
そういう行為でしか個性をアピールできない
ところが悲しいのではなかったのか
と残念に思う。

同時に、これは恐ろしさを
教えてこなかった責任でもある。
なんというか、二階に上らしておいて
それはダメよ
とハシゴをおろしたようなものじゃないか。

無責任な話だと思う。
法的には問題ないかもしれないが
無責任な教育姿勢だ。