あかんたれブルース

継続はチカラかな

イスラエルに言われたかあ、ないね。



戦争に対する反戦映画について
また伝える、表現の手法についての話
昨日の続きです。

戦争は残酷なものだ。
それを美化したりするのはよろしくはない。
ま、子供でもわかる論法だ。
では、その残虐性をリアリティーに描くことが
はたしてどこまで反戦意識につながるか
わたしは疑問だ。
まさかと思うけれど、この言い廻しから
はだしのゲン』を批判してるんじゃないですよ。
ちゃんと読み取っておくれ。も心配で(涙)

はだしのゲン』の過酷さは
原爆の地獄絵図以上に、そこから先にある。
被爆者が苦しみ、悲しみ、途方に暮れて
絶望しながら死んでいくまで、にある。
つまり、戦争の悲惨は死よりも生にある。
こういうことを考えさてくれるところに
はだしのゲン』の価値があるんだと思う。
原爆で一瞬で即死だったら、そりゃ楽だよ。
ここが重要なの。

わたしは昨日の『炎628』といった
プロパガンダ手法よりも
ソフィーの選択』のほうがより
戦争の痛み、悲しみ、残酷さを
訴える力があると思う。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%81%AE%E9%81%B8%E6%8A%9E

これは生きる選択を余儀なくされた
母親の悲劇だ。
あのまま母子三人で死ねたら
あれ以上の悲しみはなかっただろうと思う。
また、残酷な優しさというけれど
ドイツ人将校の慈悲は
冷酷な情けとしかいいようがない。

その意味で、ユダヤ強制収容所を舞台にした
体験記録『夜と霧』の生への執着、渇望が
よく理解できないのです。

わたしがユダヤ人でもクリスチャンでもない
日本人だからでしょうか。
日本人は死に対して他民族とは異なる
価値観を有しています。

太平洋戦争で「玉砕」という集団自決が
決行されたのはアッツ島の戦いからだといわれる。
このニュースを世界は驚嘆し賛美さえした。
ところが、その後それがお約束になって
世界は呆れたのだ。
特攻攻撃もその延長線上にあります。

「生きて虜囚の辱を受けず」の戦陣訓から
つまり教育の影響といわれていますが
それ以前に、日本人の生への執着の薄さと
死に対する受け入れ方が他民族と違ったとも思う。
生死観の問題ですね。

日本には日本人の生死観があり
死んでしまったらみんな仏となる。
他の国の人にはわからないでしょうが
これが日本の日本人の特性であり文化なのだ。
そういうことを知ってもらう努力をしないと
なかなかこの理屈はわかんないじゃないの。

だから
イスラエルの脳タリン外交官に
ああいう失礼なことを言われてしまうのだ。
くだらない。
http://news.livedoor.com/article/detail/7958206/
式典はそういうものなの。
モモクロのコンサートじゃないんだから
子供じゃあるまし、うんざりなら出席するな。
来年から出るなよ。

靖国の問題を政教分離とか
国際社会では理解云々と議論がかみ合わないのは
そういう心情とか文化を無視することが
冷静な判断みたいに考えててるからじゃないかな。
気持ちをバカにしてはいけないと思う。

わたしは特にA級戦犯を擁護するつもりは
ないけれど、日本人が裁いた戦争犯罪者ではなく
戦勝国の米国が行った軍事裁判の被告人であって
あれ以外にも問題のある人間はたーくさん
いたわけです。そうだろう新聞社、君たちだって
関係ないなんてしれーっと判事気取りは卑怯だぞ。

日本人は死んでしまったら反故にしてしまう。
赦すという思想もあります。
水に流すという、これも諦めなのかもしれない。

目には目をとか易姓革命で根絶やしの思想は
日本にはない。

いつまでも続く恩讐の負の連鎖には
辟易するよ。

歴史歴史というけれど
歴史は年表の暗記じゃない。
その時代に生きた人間の鼓動に耳を澄ます。
そういう感性が必要なんだと思います。