あかんたれブルース

継続はチカラかな

はだかのゲン


少年ジャンプの連載を打ち駆られた
(理由はオイルショックと人気投票など)
はだしのゲン』は
(1)左派系市民誌『市民』、
(2)日本共産党系の論壇誌『文化評論』、
(3)日教組の機関紙『教育評論』、
に発表の場をかえたわけですが

ジャンプ打ち切りの理由に
オイルショックの紙不足という時代的背景が
あったことも無視できない。

当時は公害や東西冷戦、核実験反対、反戦など
様々な問題に対する市民運動が活性化してきた
時期でもあった。
そのなかに『市民』はあるのですが
ひとくちに左翼といっても色々で
たとえば、核兵器・核実験に対しても
「平和の核(米国に対抗する中ソの核はOK)」
共産党
「あらゆる核に反対」の社会党ではまったく違う。
ここに共産党VS社会党・総評の対立がある。

こういった政党の管轄化に市民団体も
組み込まれていたなかで『市民』は
無党派革新の立場であった。
ま、いずれにしても左翼系といえばそうですが
政党や組合とは一線を画していたわけです。
それが故に、固定読者の地盤がなく廃刊となる。
(75年9月~76年8月)

その次が共産党系の雑誌『文化評論』
(77年7月~80年3月)
なぜ共産党かというと73年に核兵器に関する
党の方針転換があったから。
77年頃から総評とも対話があり
そういう時期にゲンは迎えられたわけです。

しかし、80年に社会党が次期政権奪取に
意欲をみせたはじめたことから共産党との仲が決裂。
それの煽りでゲンは打ち切り。

左翼政党は反核といってもあまり関心はなかったのだ。
ゲンはそういう政治の道具にされ利用価値がないと
されるとポイ捨てされたのです。

しかし、それにまだ利用価値があると踏んだのが
日教組だった。
ゲンは平和教育の「テキスト」として
利用されることになります。
その平和教育に国歌国旗の否定などもある。
自虐史観もテンコ盛りで
ちょっとやり過ぎたもので信憑性が失われた。

だからゲンの前半ジャンプ時代と
後半の左翼系雑誌時代とは違うわけです。
だから、規制せよ!となるのでしょうが
わたしは余計な事するなと主張する。
なぜならば、読めばわかります。
変なんだもの。
それと子供を過保護にするな。
です。自分で考えさせろと。
だいたい今ガミガミいってる連中も
自分の頭で考えたのか、疑問に思う。
読解力がないとはそのことです。

この件で寅屋が面白いこと言っていた。
「面白けりゃいいんです」まさにその通りだ。
はだしのゲンは漫画なのだ。
それが一人歩きして
史書か教材に成り下がってしまってる。

時代背景を長々と前説に出しましたが
70年代、漫画誌は過渡期にあった。
それは手塚漫画からの脱却でもあった。
それをなにかというならば、
エロ、グロ、ナンセンス、それとバイオレンスだ。

エロは永井豪ハレンチ学園だ。
ナンセンスは谷岡ヤスジの鼻血ブーだよ
バイオレンスは本宮ひろしの男一匹ガキ大将
そのほかにもスポ根とかかな

で、グロ、グロテスクは
系譜としては少女マンガの恐怖漫画ですが
そういうのとは別にモログロが登場した。

それが少年マガジン連載の
ジョージ秋山の『アシュラ』(70~71年)。
これは平安時代を舞台にした
人肉食をテーマにしたもの。
この裏側に日野日出志
http://image.search.yahoo.co.jp/search?rkf=2&ei=UTF-8&p=%E6%97%A5%E9%87%8E%E6%97%A5%E5%87%BA%E5%BF%97

というとんでもないグロのサブカルスプラッタ
がありました。

ゲンと日野日出志を同列に扱うと怒られそうそうですが
あの頃の小中学生が受けたショックは同質であり
ゲンの場合はそこに原爆と戦争があった。

最近は建前上は子供の教育上云々と
様々な規制があります。
あの頃はそういうのがもっと緩いといか
弛んでいたというか
世の中に結構恐いグロなものがあったわけです。
道端のうんことか動物の死骸とか
オヤジの立小便
四谷怪談の映画のポスターとか
子供達はそういうものを避けよう心がけますが
到底避けて通れない現実があったものです。
質量だけでなく、好奇心があった。

はだしのゲン』を過大評価しぎることも
過小評価しすぎることも
ましてや教材にしたりすること自体が
おかしいのだ。
おかしくなっちゃうんだ。

鉄腕アトムの妹はウランで兄貴はコバルトだぞ。
エイトマンの原動力は超小型原子炉だし
サイボーグのくせにタバコ吸うぞ。
規制してみろ、メルトダウンしちゃうんだぞ。