あかんたれブルース

継続はチカラかな

飛べない豚の思想



宮崎駿監督の引退声明の報道にあわせたのか
昨夜『紅の豚』が放映されていました。
綺麗で小粋で楽しいアニメーション作品。

http://www.youtube.com/watch?v=bYpEmPCNOpY

ナウシカから三十年か
カリオストロの城三軒茶屋の映画館で観たのは
たしか18才か19才の頃でした。
なんじゃこりゃ!って感じ。

時代に反発し、憤り、まさに孤軍奮闘で
観客に訴えていたわけですが
はてさて、この三十年は宮崎監督にとって
どんなものだったのでしょうか。

紅の豚』から『風立ちぬ』を繋いで
宮崎監督は飛行機が好きだったんだなあと
しみじみ想うのでした。
息子が小さい頃、あの赤い水上機
「サボイアS.21試作戦闘飛行艇」のプラモデルを
作ってやった。
いまでもあれはかっこよかったと息子はいう。

時代は第一世界大戦の後
その大戦で戦車や飛行機、毒ガスなど近代兵器が
登場し、未曾有の被害をヨーロッパに与え
人々は大きな傷を負った。
ポルコが大量の札束を積んで再生を依頼するシーン
世界恐慌・・によるインフレだよ。
高校生になった息子は知識と知識が結ばれて
ようやく合点がいったような感じでした。

この頃から、戦闘機の時代の一時終焉があった。
戦闘機は、攻撃機爆撃機の護衛が任務で
戦闘機対戦闘機
という騎士道的戦いは不要になっていく。
これが戦闘機不要論です。

戦争の形態が、戦闘員対戦闘員ではなく
非戦闘員をも含めて、
相手側により大きなダメージを与える
という非道な合理的効率的手法が
選択され実行されていく。

飛行機はひとつのエンジンより
複数のエンジンを搭載したほうがより遠くに飛べる
より多くの爆弾を積める。
双発機の時代になっていくのです。

ところが、日中戦争で日本は重慶爆撃を行った際に
攻撃機がつぎつぎに敵戦闘機に撃墜され
甚大な被害を蒙った。

そこで、横須賀の海軍基地の
「倉庫で埃をかぶっていた」
零戦に脚光が浴びた。
単発機である零戦ですが驚異的な飛距離があった。
そして運動性能と戦闘力も、当時世界一だった。
こうして零戦神話が誕生する。

その零戦を生み出したのが
風立ちぬ』の主人公のモデルとなった
三菱の堀越二郎というわけです。

ポルコはこう言った。

「飛ばねぇ豚はただの豚だ」

右翼だ左翼だとやかましい世の中です。
片翼じゃ飛べないのだ。
それじゃただに豚じゃないか。
人間は鳥じゃない。
翼は生えていないけれど
考える思考の翼がある。
知性の翼、知識はその羽だ。
片翼の天使なんてそんなもんじゃない。
ただの豚なのだ。

なんてメッセージだったのかな?
なんて考えてしまいそうな昨今です。
宮崎駿は時代を追いかけたけれど
時代は彼を振り切るように
暴走していったような気がします。

あっ、ポルコがポイ捨てしたぞ(汗)

豚がタバコ吸ったとか
飛行艇という武器をかっこよく描いているとか
教育上よくないとか
そういうことに神経を尖らせる
こういうツッコミを時代の先鋭化なんていわない。
思考の劣化、それ以上でもそれ以下でもない。

「飛ばねぇ豚はただの豚だ」