あかんたれブルース

継続はチカラかな

法が抑止力になるのか?



今の日本人の脳タリン症候群は
法が完備すればすべて解決するという錯覚にある。

子供が百円ライターで火事を起こせば
ライターを規制して取り締まる
蒟蒻ゼリーを取り締まる
絵本を取り締まる

法は法であって
それを守らないのが私たち人間です。

すると
「こんな事があってはならないんです!」
と叫ぶ人がいる。
いったい誰に対して言ってるか?
独り言なのか、施政者側に対する憤懣なのか。
なんか芝居がかってる
この台詞、最近よく耳にするのですが
どこから来たんだろう・・・と
思っていたら
先日、海外ドラマで言ってた。
芝居がかってるはずだよ。

翻訳日本語だったんですね。
元はオーマイゴッドなのかもしれません。

結局、責任の所在の曖昧さなんだと思う。

アメリカがクシャミすると日本が風邪をひく
なんていわれますが、
訴訟大国のアメリカの現状から
日本もいずれなんていわれておりました。
法律至上主義なのかなあ

中国ではここ二千五百年ぐらい
儒家と法家の戦いの歴史だった。
どちらも相容れないのです。(今は違うよ)
日本の
学校で道徳教育ができないのもこのため。
道徳を授業にするとそれを評価しなければならない。
誰が(まあ教師なんでしょうが)、
どういう査定で評価するのか?
道徳の基準自体をどう定義付けすのか?

まあ、そんな難しいこといわなくとも
礼儀正しく、親切に、非道はしない。と思うけど
それじゃあダメなのです。
そういう制度という法によって運営されている。
だから学校では道徳は教えられない。
変な話でしょう。

これがいまの日本の現実なのだ。

原則論至上主義ってやつでしょうかねえ
本音と建前でいけば
建前だけが一人歩きしてる。
なにかあると糾弾の材料にするだけのために。

本末転倒というか
過剰反応する、ソコじゃないだろうが!
ツッコミどころが違うんだけど
もうテコでも動かない。

ちょっと話はズレますが昨日だったかな
福島原発事故で東電の当時の経営者(社長と会長)
と、菅総理(当時)の自己責任の裁判があって
判決は法的責任は問えないというものだった。

それに憤る人たち

わたしはこの裁判の意義とか意味が
さっぱりわからない。
もし仮に有罪になったら、なんか良い事でもあるのか?
わたしは法律は素人ですが
向うにだって弁護士もたつわけですから
この筋は無理筋だと思うのですが、どうなんでしょう。
有罪であってもせいぜい執行猶予
よくても三年以下の禁固刑か200万円以下の罰金?

また、菅さんの罪は、事故当時被災地を視察して
そのために復旧作業に支障が生じさせた、だってよ。
アホらしい。
行かなきゃ行かないで騒いだくせに。
いっときますが
わしゃ菅さんに同情的とかの類じゃありませんからね。

訴えた側の弁護士とか団体の代表の見識を疑う。
アホちゃうか。
穿った見方をすればヤラセじゃないかとさえ思う。
こんなんで溜飲を下げようなんて思わないでほしい。
訴えることに意義がある、みたいなあ?
バカバカしい。だったらもっとうまくやれよ。

でね、とは別に
なんで菅さんは、自ら
「すべてはわたしの責任です」と罪状をすべて認め
罪を一身にかぶらないのだろうかと、思った。
どの道、政治生命は断たれた政治家なのです。
有罪になってもせいぜい
>三年以下の禁固刑か200万円以下の罰金?
まあ執行猶予付きでしょうか。

歴代総理のなかで燦然と歴史に名を残す
と思いますけどね。
政治センスがないというか、なんというか・・・

責任の所在がまったく希薄な世の中だ。
これは終戦からの東京裁判からはじまっている。
もうこういう不毛な三文論法にはいいかげん
終止符を打とうよ。