あかんたれブルース

継続はチカラかな

天皇陛下と古美門研介の福音

旅の途中(6)


昨日12月23日はクリスマスイブイブ
というか天皇誕生日で祝日でした。
80歳、傘寿の誕生日だそうです。
それに際して、皇居・宮殿での記者会見のもようが
テレビで何度となく報道されていました。

そのスピーチの内容に感銘を受けた。
正直なところ、けっこう感動した。
これまで、要人、偉い人のスピーチ、答弁、発言などで
感動したことって実はあんまりありません。
大統領の演説とか、キング牧師の言葉とか
先ごろ死去されたマンデラ元大統領のスピーチとか
すばらしいスピーチはあるんでしょうが
リアルタイムで、出会い頭に、ポーンと入ってきた
天皇陛下の「お言葉」に感銘を受けてしました。

えっ? めでたい奴だって?
いいじゃないか。めでたくて。

たとえば、そこに遺憾の意とか哀悼の意とか
といったお約束の記号化したものはなく
いや、言葉というもの自体が記号ではあるのですが
なんというか久々に心ある日本語をきいたような
ほっとする思いでした。

立派な方だと思う。尊敬するよ。

ここに全文を入れておきます。
http://www.tokyo-np.co.jp/feature/koushitsu/131223/

高齢化社会ともいわれるわけですが
私たちの周囲に年寄りはゴマンといますよね。
しかし、こんな品性品位のある、
謙虚で慈悲深い老人が
はたしてどれほどいるだろうか?
そりゃあなかにはいるでしょうが、そういうなかで
そういう人が、天皇陛下だったってことを
奇跡のようにも感じ
改めて「有難い」というか嬉しく思う。

えっ、表向きだって?

そうかなあ・・・四六時中見張られているような
ものですよ。そんな表裏あったらボロが出るよ。
平成になってからもう四半世紀も経つんだぞ。
そんなふうに思うこと自体想像力がどうかしてる。

わたしはこれまで一度だって天皇陛下の言動に
違和感を感じたことがない。
今年の秋の園遊会でのアクシデントに際しても
陛下の態度は立派であり思いやりがあった。
あれは嘘じゃない。

コメントのなかに「孤独」という言葉がある。

そうなんだろうと思う。それでも、
そことよいも(つまり自分のことよりも)
妻である美智子皇后への感謝を述べられている。
それは同時にこれは
息子である皇太子に対するメッセージでもあり
また、私たちへのメッセージであるとも思うのです。
なんか胸が熱くなるよ。

猪瀬直樹都知事辞任に際して
「傲慢だった」と反省していました。
わたしはその言葉を素直に受け取りたい。
わたしたちは常に頑張ろうとするために
ついつい傲慢になってしまうときがあります。
もしかするとそれは「自信」の裏返しであり
気負いだったり、思い込みだったり
それが常にしくじりの原因になるものです。
それでもそのことを口に出して反省する
猪瀬直樹という人間はまだマシだと思う。

それを思えば思うほど、天皇陛下の孤独や謙虚さに
頭が下がる思いです。
こういう人物が日本の天皇であってくれて
本当に良かった、救われると心から思います。

こういうことを考えるわたしは右翼なのでしょうか。
バカですか? 間抜けですか?
だったらそれでもわたしはかまいません。

よく天皇批判とか天皇制批判する人のなかに
汚い表現をする人がいます。
わたしはもうあれでアウトだ(涙)
因業とか、殺せなんて平気いうよね。
また、「天ちゃん」という表現を用いたりもする。
なんかチンピラのハッタリみたいで、嫌です。
見識を疑う。というかバカ丸出しだよ。


日本語、その表現も含めて、荒れているよなあ
とつくづく思うときが多々あります。
それと同時に、言葉に「誠」がない。
変な駆け引きとのか揶揄とか皮肉とか毒とか
そういった薄っぺらい言葉がはびこってる。
優しそうな言葉のようでも中身のない言葉
本人はそれで十分事足りてると思ってるんでしょうが
相手によっては、見透かされているんだ。
そういう相手はね、その言葉に傷つくことはなくとも
さびしさを感じているものです。

「心ない」という形容詞があり、
それに言動が付随します。
言動とは、言葉と行動だ。
言葉は、記号であることは確かです。
それを上手に使うには技術も必要ではあると思う。
それも大事だけれど、やっぱりハートというか
心の通っていない言葉はつらいよね。
私たちはどこかで、テクニカルばかりを追って
どこかでそれを抑えようとしてしまう。
言葉に誠があることを恐れるのだと思う。

今年の流行語大賞
「じぇじぇじぇ」と「倍返し」と「おもてなし」
でした。
流行語、ですからアレですが
「倍返し」という言葉とそこに潜む意味合いには
危うさがあるから気をつけろと、年寄り臭いことを
このブログでも散々記事にしたものです。
あの言葉に強く反応したのは中国人・韓国人だった。
わたしたち日本人は同じアジア人でも
儒教に影響された民族であっても
漢民族朝鮮民族とは、違う。
この言葉にはそういう意味も含まれていることを
肝にめんじておいてほしいものです。

時期的に流行語大賞にノミネートされることは
ありませんでしたが、半沢直樹を演じた堺雅人
『リーガルハイ』で主人公古美門研介として
上手い言葉で釘を刺してくれた。それは

「ゲスの極み」

これ、わたしにとっての「倍返し」の憂鬱の
中和剤でした。
汚い日本語が飛び交っている。
それがあたかも本音っぽくて知的でカッチョーイー
なんて思ってる連中も多い。それは下衆だよ。
その批判精神も、ただケチつければいい
というのではなく的を外したら最後「下衆の勘ぐり」
になることを意識してほしいものです。

どんな言葉を用いるか、なにを言うか
これがすべて、それですべて
それがその人そのものです。
いいかげんなことをいう人はいいけげんな人。
だからね、相手のいうことを注意深く
よ~く聞いててごらんなさい。
その人の本質がわかるよ。