あかんたれブルース

継続はチカラかな

愚痴の損得

タカになりたい(3)


小野田寛郎氏 が「死去」されたそうです。
享年91歳。
終戦を知らず戦後29年目の1974年に
ルバング島で保護されて帰還。
あれから40年かあ。

「私は戦場での三十年、生きる意味を真剣に考えた
 戦前、人々は命を惜しむなを教えられ、
 死を覚悟して生きた
 戦後、日本人は何かを命がけでやることを
 否定してしまった
 覚悟しないで生きられる時代は、
 いい時代である
 だが、死を意識しないことで、
 日本人は生きることをおろそかにしてしまって
 いないだろうか」

帰国後の熱狂が醒めると
様々な批判を浴びた。
30年の空白から、
あまりにも日本人の価値観が変容していた。

いや、価値観というよりも
精神性の問題かもしれませんね。
そういうもを否定して
損得を優先しだしたのだとも思う。
ここでいう損得は生きることも含めて
すべてのね。

わたしはそれを時代性として
否定しなし、否定などできない。ただし、
その損得勘定の算盤原理が大いに疑問だ。

愚痴について

よくテレビなどで
世の中には二通りの人がいると語られる
騙される奴と騙す奴という脅しだ。
その言を借りれば
世の中には二通りの人がいる
愚痴をいう奴と言わない奴。

そりゃねえ、愚痴なんて言わないほうがいいさ
仏教でもきつく戒めている
けど、言うね。よく聞かされる。
特に女性にその傾向が強い。
悩み事や相談事もおおわく愚痴に尽きる。
みょうに解決策など提示しようもなら
大目玉で諭される。
「あのねえ、聞いて欲しいだけなの」
そう答えはすでに用意されているんだ。
だったら言うなよ。
とはいかない。言いたいのである、愚痴を。

たくさんの女と男の愚痴を聞いてきました。
どういうめぐり合せか引き寄せなのか
そういうことになってしまう。
時々間尺にあわない思いにも駆られる。

北野たけしは「俺には何もできなけが
ただ聞いてやることだけだ」みたいなことを
つぶやいていた。やさしい人だと思った。
なかなかできないんだよね。
修行が入ります。

ここにも一人愚痴る女がいる。
収拾がつかなくなるくらい
愚痴のスパイラルゴーランドだ。
ある日ゲドことハイタカの弟子を名乗る
ゲロという大賢人が現れて
彼女が自立できないのはお前の存在のせいだいった。
すべてを失えば彼女は自立して愚痴など吐かないと。
さすがは大賢人、正論だと思う。
が、そんな正論などなんの役にも立たない。
速攻で却下。

それはいいんだけどね
問題はこの愚痴女のスパイラル迷宮だ。
これはひとつの癖というか
なにかの思い違いの思想の刷り込みなんじゃないか
と思うのです。それは彼女だけじゃなく
多くの人がもつ迷信のようなもの。

愚痴をいわないと損だと思ってるフシはないか?
とか、ちょっとした不幸は尾ひれをつけて
白髪三千丈に訴えないと・・・損というか
お祓いにならなという妄信。
つまり、ここに幸運と不運の等価交換思想が
潜んでいて、自分はこんなに不運だと
自己申告しとかないと
あとできっと訪れるだろう幸運の満期払い戻しに
ケチがついて損するんじゃないかという
そんな了見の狭い根性だ。

まあこういうと上から目線とか
強者の理論とか喚く連中がいるので
うんざりなのですが、でもさあ
愚痴いえる人はある意味で幸せだと思うよ。
いえない人だっているわけだしねえ。
いえる人がいるってことだけでも。
でもさ、愚痴なんて言っても何も始まらない。
それは何かを始められない
言い訳でしかない。

だけです。

聞いてもらってすっきりして
そして吹っ切れて、やるんだったらいいよ。
でもさ、それで満足して
そのままずーっとぐるぐるじゃあねえ
目がまわるぞ。
言う方も聞くほうも

損得勘定大いに結構。
ただし、その算盤の鼻糞みたいな
愚痴の玉はほかしておかないと
計算ミスばかりで収拾つかないぞ。

それ愚かな恥なのだ。