あかんたれブルース

継続はチカラかな

己を空しくするという生き方

タカになりたい(6)


うつ病を患っていたSさん(当時60歳?)
が、電車とかで発作が起きたとき
(たぶんパニック障害とかでしょうか)
応急処置として乗客のなかで
自分より弱い人を探すのだそうです。
子供だったり老人だったり
妊婦さんだったり女性だったり・・・
そして、もしも
今ここで地震とか事故が起きたと想定して
どうやってその人を守るかを
必死に考えシュミレーションするのだそうです。
そうするといつの間にか
気分が落ち着き平静を取り戻せるのだとか
「これが俺の対処なんだ」と
語っておられた。

精神疾患に陥りやすい罠には
「自分のことばかり考える」にある
というヒントはこういう体験談も
裏づけとなったものでした。

精神疾患の原因には
食い物や社会環境にもありますが
戦後民主主義個人主義のはき違えもあり
あまりにも利己や自己に特化した思想にも
原因があると思うよ。
利他なんて馬耳東風馬の耳に念仏だ。

確かにそれは病気ではあるだろうけれど
ニワトリとタマゴの関係じゃなくて
ある段階を経て神経が失調し臓器(脳)が
変調を来たすわけで
それに薬物治療の偏重が様々な副作用や弊害を
もたらしているわけだ。

で、その治療を拒絶するのはいいとしても
ただ我慢大会で改善するんだろうか?

もともとそういう罠に陥ったのには
理由(因果)が必ずあるわけで
それが森田正馬の現在の矛盾であり
不自然にあることは確かだ。

このブログを立ち上げてからずっと
「己を空しくする」ということを
伝えてきました。
これは、そうせねばならないという
禁欲的な、道徳的な、ことじゃなくて
そうしないとやっていけない
ってことなのだ。
たとえば、五木寛之が結局他力しかない
というようなもので、
人間が生きていくうえでそれしか
手掛かりがないということです。

己を空しくするということは
自分の意識を他に移してしまうこと。
そこに愛もある。

子育ての意義はそこにあったはずだ。
ゲド戦記』のなかで
どうしようもない俗物の「2人組のオバさん」
が登場します。
テナーは「どいつもこいつもロクでもない」
と吐き捨てたあとで
「でもまあ子供のことを思うぶんまだマシか」
とつぶやく。
わたしたち愚かな人間がそれでも
最低限できる己を空しくできること
愛情を持ち得ることがそこにある。
いまはそれさえ失ってる人が多い。

もう一度、己を空しくするということ
考えてほしい。
きっとそこにヒントはあると思う。


わたしは別に自分の想いを引きずって
いるとか、そういうものに囚われているとか
これっぽちもないよ。まったくないね。
ずーっとかわらない。
この引き寄せやシンクロの不思議な現象から
それを重ねて伝えたいのです。
これはね、単なる偶然じゃなくて
ひとつの法則性といか必然の事象なんだと
思うからなのだ。