あかんたれブルース

継続はチカラかな

パブロフの牡馬と雌鹿

タカになりたい(7)


パブロフの犬というのがあります。
御存知ですよね。
条件反射というやつ。

昨今非常に痛感するのが
言葉や感情がパブロフの犬みたいに
条件反射に支配されているタイプが多いこと。

もっとも「言葉」というものは記号ですから
その言葉(情報)から条件反射的に即反応
というのがあるわけでしょう。
サウジアラビアの諺に
梅→酸っぱい→ツバを出せ。
みたいなやつかもね。
それでもさ、人間は犬や猿じゃなくて
少なくとも考える葦といわれるわけだから
もうちょっと思慮深く考えてもいいと
思うんだけど、そうじゃない感じになってる。

君が代とか日の丸というと拒絶反応を示すのは
そこに軍国主義というキーワードに反応する
いわば条件反射だよね。
憲法改正も「戦争へ」という条件反射だ。
ここには戦後のマルクス史観から
自虐史観などが影響もするのでしょうが
言葉狩り」の風潮を考え合わせると
民衆トレンド、雰囲気というものがあって
ま、おしなべてそれを固定観念としても
間違いではないかなとも思うのです。
実はこれ、非常に危ない。
作用あれば反作用ありでその反動が恐い。

なにがそんなに面白いのか、美味いのか
憤るのか悲しいのか嬉しいのか
そういう喜怒哀楽さえ怪しく感じるし
それさえもオモテに出すことをはばかられる
トレンドが支配しているフシさえある。
よくわかりません。

お約束のようになっている。
コミュニケーションさえもこれだから
共感しあうということがなかなか実は難しい。
困ったものです。
愛してるって表現さえもお約束だ。
その前提はテレビや漫画といったものから
発せられやがて定番化し普遍的となる。
うつ病患者に「がんばれ」といってはならない
という掟もそういうなかから生まれた。
それは言う人の(姿勢・センスの)問題であって
その言葉を封印してもなんら解決しません。
その事実を、うつ病患者側から指摘してくれて
ようやく最近、見直されてもきましたが
とんでもない迷信のような医療マニュアルの
薄っぺらい流布だったと思う。
これも受け手があまり考えていない
無責任な証だ。

世の中は思い込みで動いているといわれる。

それを否定はできないけれど
それがポジティブであろうがネガティブであろうが
こんな曖昧で薄っぺらな条件反射に影響されている
かと思うと空恐ろしくなる。ならない?

バカはサイレンでなくという。
わたしたちはバカかもしれないけれど
犬猫畜生じゃないんだ。
うつろいやすいのが人間の性
ではあるかもしれないけど
ときにそこを踏ん張るのもまた
人間の証じゃないのかな。
わたしゃそう思うよ。