あかんたれブルース

継続はチカラかな

縦横無尽の数珠つなぎ 2

愛のビリビリ(5)


ちんこの前の記事
正確にいうと2月15日にアップした
記事で(書いたのはその前日かな)
「縦横無尽の数珠つなぎ」で
この世の不思議なメカニズム
シンクロニシティー(意味のある偶然の一致)
を紹介しました。

みんながなにかしかで繋がっていて
共有している
各自に起きる様々な出来事や事象も
すべてに因果関係があって意味がある
みたいな内容です。
と、とたんに忘れていたバカタレJ君が
登場して勝手なグダグダをはきだす。
まあアイツはそれにタイミングを合わすほどの
分別も知能も機転もききませんから
これもまたシンクロなんでしょうねえ。
ムシの知らせかなんかでしょう(笑)
以前にも二回、かおりくんと揉めだしときとか
タイミングの悪いときに登場しては
そのたびに
どやしつけられていったものです。

そしたら音夢嬢から久々のコメント
彼女は馬太郎ブログではいまでは最古参に
入るシスターズで
このブログの前期、あほ寮以前の出来事を
知ってる貴重な友人だ。

むかしね、Tという共通の仲間がいたんだ。
関西方面のね、電気屋の息子で
気の良い奴でした。
わたしのことを慕ってくれて子犬のように
まとわりついてくる可愛い青年だった。
それでも三十過ぎてて小さな子どももいた。
ちょっと頼りないけれど純粋で気持ちのよい男
だったです。年齢も同じ性質もJと似てた。

そんな頃、あるアクシデントがあって
わたしは内緒コメントで猛烈な抗議を受けた。
わたしだけのことなら大したことじゃなかった
のですがリアル世界で「強迫事件」と絡んで
三者が被害にあっていたので
わたしはすべてをオープンにして
その批判が的外れであることを晒した。

当時、いまから7年前ぐらいは
ネット倫理とか個人情報とかその手の常識が
まだ確立されていなくて(今でもそうですが)
やった奴よりやり返した者のやり方に
グダグダ注文をつける風潮があった。
無論、はなっからそういうものになんの価値も
見出さないわたくしですから馬に念仏です。
が、それに関係ないギャラリーだった
ブログ友数人がひきつけを起こして去っていった。
「頭悪い奴だなあ」と思ったけれど
そのなかにTがいた。

「みそこなった」とか捨て台詞を残して
出ていっちゃったよ(汗)
あらら・・・早とちりしやがってと苦笑い。
それは誤解だよという旨を音夢嬢に託して
伝えてもらいましたが
引っ込みがつかなかったのかそれっきりプー
だった。まあ仕方ない時間が解決してくれる
とそのままそれは放っておいたのですが
二、三ヶ月たってか半年だったか
Tが現れて、まあ仲直りのアプローチがあった。

わたしは別に最初からそれが誤解から
生じたものだと理解していたので
別段気を害していたわけじゃない。
むしろそういう誤解のもとを作ったKという
女性の馬鹿さ加減に腹立ててたし
最初にナイト気取りでクレームいってきた男も
ある意味被害者だったと思うしね。
だから誤解が解けて気持ちの整理がついたなら
それはそれでよかったのですが・・・
ただし、そのときのTの出方が気にいらなかった。

おどけて、お笑いで、すべてチャラで
なかったことにしとこうね
みたいなグダグダが気入らなかったのです。
そういうのが嫌いなんだ。
昔からです。
なんというか迂闊しすぎるといか
言葉や言動に責任感がない。そういうのが嫌いだ。
そのときもどやしつけた。
間に入っていた音夢嬢にしてみれば
そう厳しくしなくてもと思ったことでしょう。
でもさ、それって癖みたいなもので
そういう悪い癖は直しておかないと
後々必ず泣きをみるし、信用を失い原因になる。
もともと彼はそういう言動で失敗し続けるようで
心配した母親が天王子の占い師に相談したところ
「あんたの息子は口が禍する」と言われたとか。

彼がまだ三十代前半で、これから自立していく
うえでもっとも大事な事だと思った。
少なくとも私達は
それを教わり学び実践してきたわけです。
そういう心ある先輩がいてくれたわけだ。
そんときはね、耳痛いし嫌な先輩だと
感じたこともありましたが
今にして思えばとても有り難く貴重な財産です。
今はさ、そういう大人が少ない。
というかそういうことを私達がちゃんと
やらないといけないと思う。
ブログやネットで何かかしと批判めいたことばかり
宣まうことよりもまずそこから
そこからの付き合いではないかと考える。
たかがネットの付き合い気楽にやりましょうよ。
なんていう人もいますが
わたしはそういう風にはできないし
わたしにとってのリアルもネットバーチャルも
同じなのです。

自分の言葉、その言動に
もっと責任をもってほしい。
みんなはなにかというと人間関係は難しいとこぼす。
確かに相手のあることだから難しい。
社会での問題のその多くがそれに尽きる。
それほど難しいものだとは思うけれど
であればなおとのこと気をつけるべきじゃないかのか?
自分自身にだよ。
相手のこと以上に自分の姿勢に目配りしとかないと
とんでもなことになるし、それを把握していない
当人はいつも他者のせいばかりにして
同じことを繰り返すばかりだ。
「疑う知性」というけれど
それは他者を社会を疑いだけではなく
まず、自分自身のその思い込みから
疑ってかかる必要があるんじゃないか。
それがないことに迂闊があり稚拙さが生まれる。
いつまでも思春期のガキじゃないんだから
そのへんはきっちりしておかないと
先々道を外してしまうものです。

どうでもいい人であれば
なにもここまで言ったりはしないよ。
縁あってその縁を結んだ相手であって
どうにか先々うまくやってほしいからじゃないか。

そういうわたしに今は音夢嬢のかわりに
ルイちゃんが厳しすぎるとか頑固とか
もっと優しくというこれど
わたしは別に「良い人」であろうとは思わない。
たださ、その人にとって
また自分自身にも誠実で在りたいと思う。
優しさの観点が違うと思うのです。
それが人間同士が付き合う最低限のルールだと
思うし、それがないなし崩しのグダグダには
付き合いたくない。

いいんだよ、こういう人が一人二人いて
いや逆にもっといないといけない。
少なくともちょっと前はいたもんね。
いまはいないよねえ
みんな物分りがよすぎて
そのくせ何かあるとドン引きだ。
片足は常に逃げの体勢でいる。
調子のいいことばかっり言ってる。
そういう腰の定まらないものはロクなものじゃない。
きっとね、みんなはそういう人ばかりをみて
そういう人たちのなかの環境で育ったせいも
あるんだと思う。
でもさ、環境のせいばかりにしていられない
それはすべて自分のことであって
すべて自分に返って来て影響するものです。

長くなりましたが
シンクロの話をしたとたん
こういった相似的な事象が起こって
なんか懐かしいような変な心もちになりました。
Tはあれからどうしてるでしょう?
あれから7年。あいつもそろそろ40代に
はいるんじゃないだろうか。
せめてあの苦い体験から悪い癖を改められて
くれたらいいなあと思うし
Jもまたこれを良い機会にしてくれたらいいなと
思います。

みんなが声を揃えだめな人の
汚名を返上してほしい。

すべては繋がっていてみんな意味のあることだ。
こういった話もTやJだけのことと考えずに
みんなに共通するサイン・兆しなんだと
考えてみほしいです。
当然、それはわたし自身も例外ではなくです。

自分一人で生きてるんじゃない。
生かされているんだ。繋がっているんだよ。