あかんたれブルース

継続はチカラかな

うざい毒々モンスター

毒のフィルター No.5)


暴言の論者として池田信夫の名はつとに有名だ。
論争狂時代のオピニオンリーダーともいえよか
こんな時代の必要悪か
もしくは、こんな時代のオデキのようなものだ。
彼が代表を務める株式会社アゴラ研究所には
類は友を呼ぶ法則のごとく様々な論客が
集って物議を醸す。
そのなかにはなるほどと同意したくなるものも
あるにはあるんだけど、どうも不徳の致すところか
ちょと待てと躊躇させられてしまう。
そのわけは、その言い回し表現が鼻に付くからだ。
そんなだけのことで懐疑されるとするならば
表現者としてどうなんだろうと思うけれど
相手の神経を逆撫ですればするほど
そこに価値を見出す戦法らしい。
いたねクラスにこんな奴
いるよね役所にこんな手合い。
メディアを熟知するという池田様にとっては
まさにそれこそが炎上マーケティングの思うツボ
な~のだろう。
一度そのことを僚友のアゴラのメンバーが漏らして
大慌てで火消にまわっていたことがありました。

さて、話は境界性パーソナリティ障害について
このアゴラのメンバーの一人が
それを取り上げて、その傾向と対策をノタマッテていた。
それが、これ
http://agora-web.jp/archives/1439250.html

これを読む限りだと
ボーダーはあたかも隔離すべき回避すべき
逃避して抹消すべき存在のようなものいいだ。
確実にカテゴライズしてるよね。
この純丘曜彰教授博士とやらは自分はボーダーじゃない
という前提にたってものをいっておられるようだが
そういうのって迂闊なんじゃないかと思うけどね。
わたしなんかからすれば
彼も、また親方の池田信夫様も十分完璧に
ボーダーさんじゃないかと感じるよ。ビリビリ

こういった輩は情報多寡が生んだ徒花であり
ネット時代の過渡期の発疹のようなものかと
思うのだけれども
そういう指摘は
彼らから、もしくはその信奉者からすれば
自由な言論を妨げる無知蒙昧保守的日和見主義
とでもいって論争を仕掛けてくるんだろうなあ

後、数年経って
こういったものがベルボトムジーンズとか
ぶら下がり健康器具のようになってくれることを
祈るのであります。

さて、この「ボダにだけは気をつけろ!」
ま、これが自分は別格でそれがあたかも
出会いがしらのアカの他人だったいいとしても
自分はこの場合、横に置いてもだ
そのボダとやらが
惚れた相手だったらそうするのか?
自分の肉親だったら、親友だったら
それでもそうできるものなのか?
できたら誰も苦労はせんよ。
だからこういった論法には現実味がないんだよな。
まるで子供の発想だ。
要は、ボーダーはエンガチョなのだ
という話じゃないか。

事はそう単純明快ではない!

むしろ、こういった甘い考えが危険なんだと
わたしゃ痛感するね。

こういうのがDVの加害者、被害者が
虐待する親が、その幼児期にそういう経験をして
それが原因でという因果関係を構築させている。
確かに、そういった傾向はあるかもしれないが
それは絶対じゃない。
そういうケースよりもそうじゃないケースのほうが
はるかに多いことだって知ってるはずだ。
また、親の愛情を質量をどうやって査定するんだ。
すべては本人の自己申告なんじゃないか。
なんにしても、そうであっても
それじゃあなんの解決にもならいんじゃないの?

「ボダには気をつけろ」
これっだって同じことだよ。
最初からボダだって知ってたわけじゃない。
あるとき気づくか豹変するんだろう?
そんとき、あっそうですかと三十六計って
いけたらいいけどね。
いったいどういう人間関係だったんだろう?
そういう関係じゃあボダは本性を表さないと
思いますが、どうでしょうか。

人が人と本気で付き合うには
お互いがそれなりに性根をすえて
向かい合うことがまず大事なんだと思う。
それは自分に対しても同じだ。
常に逃げ道ばかりを用意しているような
在り方だとそのへっぴり腰が足をすくわれる
ことが多いものです。
そこに迂闊さや脇の甘さが生まれるのだ。
ボダだろうがタゲだろうが、それは同じ。
もっとも危ないのはそういう考えにある。
なに?ハゲえ
わたしはハゲじゃない!