あかんたれブルース

継続はチカラかな

人間の条件と掟

毒のフィルター No.4)


彼を境界性パーソナリティ障害
いわゆる「ボーダー」と認識したことに
疑問をもつ人も多いかもしれません。
多くのボーダーの傾向として知られているのは
「確認」作業であって、どこまで無理をいって
自分を受け入れていくれるか
その作業のなかに暴言や我が儘、攻撃的言動が
過剰に働いていくものです。

この作業が痛いのは耐久テストでしかなく
その結果は最終的にはすべて破綻にある。
見捨てられる不安症候群に駆られながら
ボーダーはそれを確認せずにはいられない。

この場合のボーダーの心理としてターゲットは
相手に集約されています。それも特定の相手。

対して、この彼は「私」という自分自身に
固執している。

要はパーソナリティー(人格)障害なのだ。

個性の時代というのがあった。
そこには没個性という背景があったわけです。
そこで「個性的な人」というのが信奉された。
社会(環境)的に個性を発揮しづらい時代でも
あったわけです。今現在でもそれは同じ。

人間の成長のテーマとして
アイデンティティーの確立は重要な課題です。
個性的=独自性=自立という図式に結ばれて
大衆やその他大勢との差別化をはかろうとする。
アンチであることがまずその証みたいに
短絡的に考えるトラップがある。

反骨や批判的精神は大多数の意見をまず標的にする。
そこで独自性のある自分の意見を主張する。
ここで、それに賛同するものや受け入れるもの
そしてそうでないものを篩にかけます。
敵味方に色分けするのだ。
こういう二極論の傾向はよくみられるものですが
厄介なのは、そのうちこの味方だったものを
否定していく。
こんな奴に認められて情けなくて涙が出るとか
反吐がでるとか、ありとあらゆる暴言で
誹謗中傷しだすのだ。
それは本来、彼の考えを理解しなかったり
否定した人間に対して以上に露骨に過剰だ。

なぜなんだろう?

それは彼の考えにさほどの一貫性や確信が
なかったことに原因がある。
そういう後ろめたさを無意識のなかにもっている。
そうなると、それを認めたものたちが
不誠実でインチキで卑怯者に思えてしまうのだ。
嫌悪する。
実はそれは自己嫌悪の裏返しなのだけれど。

それでも彼は自分自身に誠実であろうと
のたうちまわるのだ。
その暴言はある種の自己弁明であり懺悔であり
それを露出させぶつけることで清廉を潔白を
訴えようとしているのでしょう。

これもまた不毛な作業だ。

従って、彼は自分の発した毒に
さほどの悪意があったなんて認識はしていない。
不幸にもそれが相手の逆鱗にふれたとしても
(この場合の相手とは選び抜かれた理解者)
それを誤解、読み違いと解釈する。

ここに甘えが存在する。
その甘えの発生源が「私」にある。
自分自身ということですよ。
「私」に対する執着が強すぎることと
そのくせ「私」というものが意外と希薄で曖昧
なのだ。彼にとってはね。
とてもそんなこと認められるものではないでしょうが。

通常、こういったモラトリアムとかいわれる
状態は思春期から成人する間の課題として
克服していくものなのでしょうが
今の世の中はそれを克服する必要性があまりない。
モラトリアムのままで成人し一生を終えても
なんら問題はない時代だ。
そう考えれば、彼の在り方なんて誠に誠実なような
気もしますが、そうじゃない。
それはとても不幸なことなのだ。
自分で自分を呪っていることにもなる。

没個性は宮崎アニメ『千と千尋の神隠し』で
カオナシ」として登場し
またネット世界では「名無し」として登場する。
そういう実体のない「自分」を恐れるがゆえに
その「私(自分自身)」に執着したがために
境界線のうえにぽっかり浮いてしまった状態に陥った。
それはどこまでも孤立する闇の世界だ。
亡者の世界といってもいいだろう。
皮肉なことに、彼を支えているのは憎しみなのだ。
そのバランスが少しでも崩れれば発狂してしまう。
そのとを、実は知っている。
突きつけた刃をかわされ喉元にそれを
押し当てられたとき、そのときハッと我に返る。
そこでどのような弁明を発しても通用しない。
「お前の人生だ。そんなものに興味はない」
そうとどめをさされるだろう。

最後にこんなメールが届いた。

「良い言葉はうかばないが、ありがとう。
 少しずつしかわからない○○より。」

大丈夫。まだ大丈夫だ。
きっと取り戻せる。
そしたらいつか酒を酌み交わそう。
それまで、さらば友よ
健闘を祈る。