あかんたれブルース

継続はチカラかな

ほんわかと温かい茶碗の噺

極悪人始末記(2)


わたしゃ常日頃思うのですが
どうも世の中が悪い奴っていうのを
持ち上げ過ぎだと。
あんなのはただケチな了見のセコイ奴らで
世の中勘違いしてるトチ狂った連中なんだと。
ま、幸せっていうものから
一番遠いところにいる可哀想な人だとね。

ちょっとこれ聴いてみてください。
https://www.youtube.com/watch?v=2lHYNJ5wiVk
三代目古今亭志ん朝の「井戸の茶碗
古典の落語ってやつです。
昔はさ、こういうカタチで啓蒙といったら大げさですが
人の在り方の在り様を示すスタンダードがあった。
今、こんな正直者なんて流行らない。
理解不能でしょうかね。
なかには、昔もそうじゃないから
こういう噺が生まれたなんて小賢しいことをいう
人もいるでしょうが、そうじゃない。
これはあくまでも方向性の問題であって
それが受け入れられ支持されていたから
つまりウケてたから古典として今も語り継がれて
いたわけです。

こういう古典落語、世話物人情噺なんて廃れて
落語噺家も一時期は絶滅危惧種でしたが
それでもねやっぱりこういのが好きだって人がいて
細々と静かなブームなんて変な表現で慰められてる。

ま、聴く人によっちゃ
「なんだ笠地蔵じゃねえか」とバカにするでしょう
そんなメンドクサイことしなくても
ハナから五十両貰っとけばなんていうのが
現代の常識、価値観、普通ってやつだ。
それだから今の世の中はカサカサギスギスなんだ。

民話とか落語にはその御褒美に現金がある。
笠地蔵にも花咲か爺さんわらしべ長者にも
こういった落語も同じだね。
そういうのを子供だましと考えるは浅いよ。
この噺の登場人物たちの変な道理、
みょうな理屈をもういっぺん思い出してごらんよ。
特に長屋のご浪人の屁理屈を。
わたしはこういう人って偉いと思うし
幸せだなあと思う。

そういうと、幸せ=めでたい=バカ
みたいな図式で笑うけど
結局はそこがツボだったんじゃないの?

さて、これから透析だ。
今日は枝雀でも聴きますか。
幸子の差仕入れで
高津の富とつぼ算数
残った時間は浪曲三昧(笑)