あかんたれブルース

継続はチカラかな

偽装表示の黄昏

饅頭より恐いもの(2)


入院中に家にある未観のDVDを観ようと
もってきてもらった。
その一本から『片目のジャック』(1960年)

主演と監督がマーロン・ブランドという異色作。
西部劇なのに海があるもの異色といえば異色。
映画通なら題名は聞き覚えがあるはずだ。
なかなか評価の高いそれでも地味な作品です。
共演の敵役がカール・マルデンという
鼻のデカイ俳優だ。ダンゴ鼻
俳優の顔の特徴を並べまずと
顎がカーク・ダグラス、歯がジュリアーノ・ジェンマ
唇がジョン・ボイド(アンジェリーナ・ジョリーの父)
ハゲはユル・ブリナーテリー・サバラス
目のひさしがマーロン・ブランドみたいな感じ
それもあって異色のキャステングでもある。
異色といえば、ヒロインにアン・バンクロフト
この人、奇跡の人のサリバン先生だよ。
しかしそれがまた可憐というか超キュート
オードリー・ヘップバーンと神津カンナを
足してすみれちゃん(?)で割った感じ。

で、もっと異色なのは
タイトルの『片目のジャック』
主人公の名前はリオで片目じゃない。
劇中、もしくはラストで片目になるのかな?
と気にしてたけど最後までそのまま。
なんちゅうタイトルだ!

昔、渡瀬恒彦主演で小林旭共演のB級作品
唐獅子警察』という実録やくざ映画がありまして
観ててなんで警察なんだろう?と不思議だった。
後に、終戦直後に無法地帯になった銀座界隈を
牛耳っていた愚連隊を私設銀座警察と呼んだ
ことからのネーミングだったんだなと知る
わけなんですが、この片目のジャックは
さっぱり意味不明だ。

それを差し引いてもまあまあの佳作だったな。
特に、主人公の葛藤がリアリティーがあった。
どんなアウトローでもそういうのってあるよね。
そこは人間ですから当然ある。

この作品から2、3年すると
イタリアでマカロニというインチキ西部劇が誕生する。
なにがインチキかというと通常リボルバーの拳銃は
六発か五発しか装てんできないんだけど
マカロニだと何十発も弾が撃てて
何十人も撃ち殺す。
そういう情無用に登場人物はまったく躊躇しない。
とにかくお金オンリーと達観してる。
そういのを鷲鼻の俳優リー・バン・クリーフが演じた。

時代はダンゴ鼻から鷲鼻に変わったんだ。

そういうトレンドとしての流れは別に
映画という作品の内容として
葛藤の描写を斬り捨てると
作品は薄っぺらいものになって
その場限りのもので名作として残らない
これ当然の理というものです。
アッという間にマカロニブームは廃れてしまう。
それでもそういった割り切った割り切り思想は
深く信仰されていった。
クールと履き違えられて、渇いてるとか
もてはやされてしまった。
これは逆説的な勧善懲悪だね。ワイルド水戸黄門

ジョージ秋山銭ゲバアシュラ
座頭市は鬼一法眼(勝新の兄若山富三郎で)
鬼平は御用牙(勝新太郎
沓掛時次郎は木枯らし紋次郎
ハードボイルドーは大藪春彦
SFは半村良花村萬月
主人公が良心を取り戻しても
シチュエーションは過激に残虐化していく。
実際に現実がそうなんだからねえ。
NANAの周辺は達観の達人が測ったようにのたまう。

迷ってはいけない割り切るんだ
断ち切ってしまえ現実はシビアなのさ
クールに決めろかっこよく
この世には二通りの人間がいる
騙される奴と騙す奴。前者になるな間抜けになるな
抜け目なく器用に渡るんだ。
ババを引くなクールにやりすごせ
割り切るんだ。とかね、とかさ
これって教祖のいない新興宗教だね。

滅びの美学というには寂しくせこい
不自由な生き方が流行ってる。
そういうバッタ者はいつか朝吉にぶん殴られ
大宮二等兵に蹴飛ばされ
座頭市に切り捨てられるんだ。

おっと『片目のジャック』の評価は・・72点
2点は異色のおまけです。