あかんたれブルース

継続はチカラかな

市っぁんに学ぶ 間合いと線引き



えーっ座頭市シリーズから初期のものを順に
続・座頭市物語(1962年) 監督:森一生
新・座頭市物語(1963年) 監督:田中徳三
座頭市兇状旅(1963年) 監督:田中徳三
を観ました。
この前半の作品で市っぁんの生い立ち経歴が
だいたいわかるようになっています。
そして私達が認識する座頭市というキャラが
確立するのはこの「座頭市兇状旅」からでしょうね。
もともとこの原作というのは子母澤寛
千葉に実在したという盲目の侠客の話から
尾ひれがついたもので、
子母澤寛原作というよりも原案
というほうが正しい。

座頭市は映画化シリーズ化していくうちに
多くの人たちに肉づけされ一人歩きをしていった
キャラクターでもある。

前々回、寅さんと健さんの比較論をちょびっと
展開させて語りましたが。
この座頭市の市っぁんもこれに相当する
重要キャラクターであります。
その意味で、この初期の作品群は非常に重要。
愛の謎解きのヒントになる。重要参考人かな

さて、日本映画、ドラマなどで
「抱いて」(抱くという表現)という
台詞がある。
これには色々な含みがあって裾野が広いのですが
英訳すると「メイクラブ」となっちゃう。
英語っていうのは露骨というかストレートだよね。
逆に日本語っていうのは曖昧だ。
「ハグ」もはいっちゃう。
それでもけっこう一大事ですけどね。

寅さんは実はこの曖昧のなかに佇んでいるんだ。

さて、ちょいと野暮な話ですよ。
野暮を承知でお付き合い願います。
お題は、「寅さんは女を抱いたか」でやんす。

毎度マドンナにふられ続ける我らが寅さん。
なんだかんだいっても純愛純情純粋な紳士だ。
この謎解きに座頭市がヒントとなる。

その前に、じゃあ健さんは女を抱いたか?
ストイックな健さん東映随一の硬派です。
鶴田浩二よりも固い。
それに比べたら菅原文太は豆腐
松方弘樹なんて離乳食か酔っ払いのゲロ(笑)。
話を戻して、
健さんも抱く、幸せの黄色いハンカチでも
なんといっても夜叉で田中裕子をメイクラブ。
不器用であってもそれなりに、です。

寅さんにそういう場面はいっさいない。
「アホ、寅はそういうことをせんのが
 ええとこやないか」という罵声が飛びそうですが
実際どうなんだろう?
わたしはその辺が気になって気になって
仕方のない変な人です。
でね、この寅さんに近いキャラが座頭市なんだな。

市っぁんもモテるよ。
けれども寅さん同様にストイックで
決して一線を越えようとはしません。
そこにある線引きの間合いは彼がやくざで兇状もちで
身体障害者というハンデじゃいかと前回書いた。
その辺りが寅さんと似てると。
健さんの場合はそうじゃく信条とか義理立てだ。

で、この初期の三本を観ると市っぁんは
自ら何十人も女を抱いてきたとカミングアウトしてる。
しかも第3作新座頭市物語ではプロポーズされ
それを了承してるじゃないか(汗)。相手は18才!
また、過去に惚れた女に裏切られたという過去もある。

こうなると、健さんと寅さんの中間どころか
もっと砕けた人間味がぷんぷんしてくるね。
そういうプロセスを経て市っぁんのキャラは
確立されていったんだ。
それがあるからこそ
その後の味わいに凄みがあるんでしょう。
むかし極道やってた聖職者てな感じですかね。

でね、市っぁんが抱いてきて汚れちまったという
その相手とは・・・商売女の類でしょう。
プロ、つまり堅気じゃない。
ここが野暮の踏み込みでっせ。
だから、リメイク版で樋口加奈子を抱けたんだね。
あれは女やくざの親分で素人堅気衆じゃない。

差別されるもの、それを憎むものが
もっと大きな差別の世界に棲んでいる。

寅さんのマドンナたちはみな素人堅気衆だったよね。
ただ、リリーだけが違ったわけだ。寅さんにはね。
だからその出逢いのときも
「ねえさん」という表現で声をかけて
「お前」と変わっていった。
ほかのマドンナにお前といったかなあ?
太地喜和子にいったけ?
木の実ナナはどうだったけかなあ・・・ちょっと不安
ま、いいや今度全部観てチェックしときます。
大枠でつかんでね。

結論は、寅さんも女は知ってる。
じゃなかったら逆におかしいもんね。
それを野暮って言うほう考えるほうがおかしい。

というわけで、寅さんと市っぁんは横一線
健さんとの間は開いたままです。

この間に入れられるキャラは・・・
木枯らし紋次郎、紅次郎、眠り狂四郎、
火野正平頭山満諸星あたる島耕作
思いつくままに書き出してみましたが
ひとつこれをネタにして
日本恋愛規格のカースト制及び特性を
その実体を明らかにしてみようかな。
どうしようかなあ
ま、考えてみます。

話はどうも寅さんだけでは収まらない。