あかんたれブルース

継続はチカラかな

赦す信仰と越える勇気と伝説



金曜日に『花子とアン』を見逃したので
昨日朝のBSで金土曜日の分をまとめて観ましたら
ちょうど兄やん吉太郎さんが
戦前戦中の己の在り方に深く反省していた。
多くの人が掌を返したようになったのに
正直な人ですね。
この後戦犯に問われないか心配です。

対して、父は・・・赦す。
なんか泣けたなあ。こういうのに弱いんだ。

日本には「赦す」という思想、発想がある。
信仰なのかなあ。こういうは世界のどこにもない。
先週のNHKスペシャル臨死体験で、
そのとき大いなる愛につつまれて
すべてを、自分を、許せたという証言があった。

とすれば、日本人のこの特性は「愛」以外の
なにものでもないってことなんでしょうね。
しかしこのドラマは優しいなあ。
花子、その周辺は愛に満ち溢れている。
それがこのドラマの人気なんでようね。

そして、父の死
しかしその死は決して悲劇ではない。
昔観た朝ドラ『北の家族』のお父さんのように
陽だまりのなかの静かな温かい終止符だった。
生死観というものを改めて考えさせられる。

こうなると途端に回路が繋がってリンクするもので
金曜日ロードショウの『猿の惑星
レンタルしてきたDVD『300』
昨夜BSの『男はつらよ 寅次郎紅の花』で
それを考えさせられる。
ロクな死に方はしないとか
畳の上で死ねないとか死にたいとか
大往生とか
戦後顕著になった死を忌み嫌う
死を考えない、遠ざける
風潮とか

猿の惑星』はリメイク版ですが
父親の痴呆症(老化)と重ねて
前作とは違った角度で面白かったです。
自分は人間なのに、いつしか猿を応援してる。
なかでもあのゴリラには感動しちゃった。
ラスト近くの人間側の主人公の
「なんとかするから」は不倫関係の男が
妻子ある恋人との復縁の台詞のように聞こえた。
猿は仲間を裏切れない。だけでなく
思うだけじゃだめだってことを学んだんでしょう。
(78点)

『300』三つの赤い手じゃあないよ(笑)。
300人のスパルタの勇者たちがあのゴリラと
重なったよ。死は決して敗北ではない。
「忘れるな。語り継げ」
彼らの死は伝説となった。
それはまさしく勝利だ。
シナリオがいいね。
「私は現実主義者だ」という下衆な野郎に
「便宜主義者よ」と主人公の妻は喝破する。
今度からこれで切り替えしてください。

公開当時、わたしの周辺では評判よかったのですが
なんかどうも『猿の惑星』もこの『300』に対し
不評な方々が多いようです。
そんなに賛否がわかれるのかねえ?

きっといまの価値観とは相容れないんでしょう。
これを認めるわかにはいかない。
そしてあれこれ屁理屈をつける。
また、同時に「色々な考えがあっていい」という
ものわかりのよい賢そうな意見が後押しをする。
「みんな同じ意見だと気持ち悪い」と付け加え。
そんなものかなあ

これを全体主義とかファシズム
延長させて結びつけているようです。

過剰反応や発想の飛躍、
融通・応用の利かない一点張りの原理主義
こういうのって下手をすると落語の人だ。
長屋でご隠居の話を拡大して笑わせるアレ。
落語は笑ってすむけれど
こっちは笑えない。頭が痛くなってくる。
そうくるか・・・と。
なんにしても発言にはリスクが伴うものです。
言論の自由っていうのは、そのリスクをなくす
というものではなく、自由=責任ってこと。
それは言動すべてにいえる。
どうも無責任に履き違えている。
ということで84点の高得点です。

さて、寅さん最後作品『寅次郎 紅の花』
結論からいえば、シリーズ中もっと低い61点
でしょうかねえ。
トリックスターさんが寅さんシリーズの
後半から渥美清がどんどん弱っていくのがわかる
といってたけど、まさしくその通りで
この作品はオープニングから痛々しいのだ。
そのぶんを満男にフォローさせてるんですが
如何せん吉岡君のあの芸風では・・・
満男の優柔不断とモラトリアムが
寅さんの引き際の美学と混同させてしまう結果に
もしくは恋愛依存症の病の持主みたいで
満男以下にもなりかねない。
元気がないぶん余計にそれがつらいよ。
山田洋次はこの不始末をどう考えるか?
素直に反省してほしいものです。

この間、このリリーシリーズをまとめて
編集したときにハッピーエンドで〆まして
とても気分がよかった。
その二日後にこうして本編を見直すと
やっぱり蛇足なんだなあ。
リリーの最後の手紙はいらないよ。

観客はさくらの気持ちで
寅さんをリリーのもとに帰してあげたかった
その思いから最後のマドンナをリリーとして
寅さんご苦労様、お疲れ様でした。
有難うというのがあったと思います。

結局、寅さんは「みんなの寅さん」でさすらう。
それはちょっと残酷なものだ。
だから人身御供と表現するんだよ。
だいたいリリーを年寄りと再婚させやがって
そういう了見も気に喰わない。
設定に無理があるぞ。
あれで寅さんファンが満足したかね。
すると思った松竹と山田洋次は客を舐めている。
また、した客が多かったとしたら
痛恨だよね。
『300』につべこべいう連中よりも
もっと寂しいよ。
それで寅さんファンだっていうのがつらい。

だからこっちはもう勝手に寅さんは
あのままリリーとタクシーで羽田に向かって
やっぱり飛行機は不味いと有楽町でUターン
東京駅から新幹線
博多から鹿児島本線西鹿児島
そこからフェリーで奄美大島ってとこかな。

救われたのはリリー浅丘ルリ子の好演熱演
それこそ愛を感じたね。

この最終作の撮影現場で具合の悪そうな主演の渥美清の姿を見て、「もしかしたらこれが最後の作品になるかもしれない」と思ったという。そのため、監督の山田洋次に「最後の作品になるかもしれないから、寅さんとリリーを結婚させてほしい」と頼んだと言うが、山田は50作まで製作したかったらしく、浅丘の願いは叶えられず、渥美は映画公開後9ヶ月後にこの世を去り、「紅の花」が最後の作品になってしまった。
ウィキペディア・エピソードより)

生死観同様に、結婚がすべてじゃないけどね。
ひとつの伝説をつくってほしかった。
結局、山田洋次はそれを越えられない。
その呵責はクリエーターとして如何なるものか
きっと悩ましいのだと思う。
せめてさくらの言葉に託すことだけが
その呵責としてあらわれたものであり
それもまた我々にとては
ささやかな救いであったのでは
と思うのでした。