あかんたれブルース

継続はチカラかな

藤沢周平の灯



入院して新しい楽しみを発見しました。
朗読ってやつです。
これまで古今亭志ん朝とか枝雀とかで
慰めにしておりまいた

入院して新しい楽しみを発見しました。
朗読ってやつです。
これまで古今亭志ん朝とか枝雀とかで
慰めにしておりまいたが
あるんですね!
昔、有線の朗読にハマッタことがあったけど
You Tubeでこんなに手軽に楽しめるんですね。
昨夜は藤沢周平の短編から『冬の日』を
「聴き」ました。
https://www.youtube.com/watch?v=fW1tM7G6HDk
いいねえ・・・志ん朝の人情噺とはまた違った
味わいがあります。

藤沢ファンならずとも多くの読書家たちであれば
彼の作風が前期と後期で変化したことを
御存知かと思う。
前期作品は理不尽、世の儚さ辛さを描き
後期では温かい灯のような作風に変わったのでした。

この作品のなかにも「人生の塩辛さを知る」という
表現が出てきますが、人生観を味覚で表すと
どうなるかなと考えてみました。
生理学的には、甘味、酸味、塩味、苦味、うま味の5つが
あげられるそうですが、この塩味はからいとしょっぱいに
わけられるそうです。関東ではね。
塩からいと香辛料のからさをわけるのだ。
つまりは、人生は
甘いか、すっぱいか、しょぱいか、からいか、苦いか
となる。あんまりうまいとは表現しない。

そういう捉え方でいくと
藤沢周平の後期はほんのり甘いのだ。
それはただ甘いのではなく
人生の酸味塩味苦味を知ってるから醸し出せる
味わいなんでしょうねえ。
黒澤明が好んだ山本周五郎と同じ感じだね。
作家として一灯を灯した男となる。

対して松本清張には甘さはない。
居酒屋の酒の肴のようです。
その酒も辛口なのに、甘さを許さない。
それも乾き物ばかりだ。

藤沢周平は長い坂を荷を背負って往く
そのなかで道の傍らで腰を下ろし
ポケットから取り出した角砂糖ひとつ
みたいな、それを一齧りすると
渇いて苦味に染まる粘膜がほんわか蘇生するような
温かくやさしい癒しというか救いなんだな。
藤沢ファンはそういうやさしさを信奉する慎ましい人々。
ブームとうほどではないイキの長い下支えする
社会の灯のようなものではないか、と思うのです。

どのように生きるか
どんな人生にするかは
人それぞれ自分次第だ。
社会のせい政治のせい運不運のせい環境のせい
その理不尽には様ざまな原因があるとは思うけれど
そういう条件とは別次元で
救われることもある。
その主導権は常に自分の手のなかにある。
それぞれのドラマのなかで
主人公は必ず自分自身なのだ。
立派じゃなくてもいいから
自分のことが好きでいられる往き方を
してたいものです。
地獄極楽はあの世にあるんじゃない。
現世にこそ、それはあり
その選択権は自分がもっている。
都市伝説じゃないけれど
悲劇にするか喜劇にするかはあなた次第。