あかんたれブルース

継続はチカラかな

ちんこ立ちぬ、いざ



そんなわけで本日は『風立ちぬ』でした。

風立ちぬ、いざ生きめやも

オープニングの冒頭に
ヴァレリーの詩『海辺の墓地』の一節
堀辰雄の訳は彼の『風立ちぬ』で有名です。
高校時代買って持ってたんですが
読んだ記憶がない。
青空文庫でちょっと拝見しましたが
宮崎作品と重ねて読めば、また面白かったかな。

ジブリの『風立ちぬ』これはまた秀作でした。
昨年の夏、あんなに騒ぎ立てられたものでしたが
このどこが戦争を賛美なのか?
さっぱりわからない。
喫煙シーン云々ともどもまるで
ゴロツキの因縁のようだ。
こういうのに「色々な考えはあっていい」は
なんか違うと思うよ。
なんでも言えばいいってもんじゃないからねえ
それよりも、そういうふうにしかとらえられない
そういう思考回路というか感性(?)を
まず疑ってかかる、知性が急務かと思うがね。

美しいままで死ぬ・・・か

これもまた切ないけれど甘美なものだ。
やっぱりどんなものでも美しくなきゃあだめだね。
なんだったけ、パーマネント野バラだったかな
「人は二度死ぬ
 一度目の死はその生命を終えたとき
 二度目は人々から忘れ去られてとき」

その死さえ羨ましく感じるのは
哀しきヒロインが永遠の命を愛を得たという
ことでしょうか。そのコツは美しさだったかな。
昔、永遠の愛を求めていた女がいた。
彼女はこのことに気づいているだろうか
それともまだ嘆きの海の底に身を潜めているのか
哀れなものです。

花子とアン』でカナダのなんてろ先生が
風立ちぬ』では
イタリア人飛行機制作者カプローニや
ドイツ人カストルプ予見したように
飛行機の発展の使用上の方向性・選択の過ちが
日本を破滅に導いてしまう。
それを技術者はどうにもできない。
この理不尽を、どうしてそう簡単に「美化」と
括れるのだろうか?
哀れなものだよ。

それが歴史のプロセスというものであるとしたら
残酷なものだ。
わたしたちはもう多くを学習してきたのに
まだそれを受け止められない。
もっと大きな厄災に身を焦がさなければ
わからないというのか
すりかえられる的外れな批判。
腑抜けどもよ、悲しみの愛を見せろ
そこに愛はあるのか
魂はあるのか

風立ちぬ』感無量の92点。
エンディングがユーミンじゃなかったら94点は
あったのに残念。聴かなかったけどね(笑)