あかんたれブルース

継続はチカラかな

陽だまりのなかの純愛



DVD鑑賞第2シーズン第三弾は
陽だまりの彼女』でした(汗)
えええっ、そんなの観るのと意外に思うかもしれないが
観ますよなんだって気が向けばアニメだって芸術だって
で、松潤上野樹里の共演という
軽そうでトレンディーっぽい恋愛ものだ!
評価点が意外や意外の80点と高得点なんだよな。
大甘の馬ちゃんです(汗)。

上野樹里が可愛いね。のだめからどうするんだろう
と心配していました。
あまちゃんともども天然や足らんキャラで売り出した
女優は後が難しい。
すくなくともこのキュートを武器にしたら
日本のメグ・ライアンってことにもなるかもね。
ビーチ・ボーイズの曲で踊る彼女はもう超危険物だ。
そのヒロインの中学生時代を演じた
葵わかなも可愛い。なんであんな声でるかね(汗)

そして、嵐の松潤も頑張っていました。
メイクや演出で三枚目もやれるんだね。と感心した。

ネタバレするので詳しい話はできないのですが
携帯小説でよくある「愛する人の死と別れ」
(もっともこれは携帯小説じゃない)
それと流行の霊界ものに入るかな?

悲しみ=死。こういう図式と
そういうのがないと真実の愛(大切さ)が
わからないみたいな風潮が嫌なんだけど
この原作・映画はそういう薄っぺらいのとは
ちょっと一線を画すものでした。
輪廻転生まで、考えさせる純愛ものだ。

純愛といえば、つい『風立ちぬ』を観たばっかり
なんだろう?別に意識したわけじゃなく
なんとくなく観たいのをランダムに借りただけ
なんですが、『桐島・・』『腑抜けども・・』
『パーマネント野バラ』『風立ちぬ』と
なんかリンクしているんだよね。不思議・・・

彼女の秘密・・・それは記憶障害・・・それは、
予告編とかDVDのパッケージには
「彼女の”不思議な秘密”を知ったとき、
 恋は奇跡のハッピーエンドへ」
というキャッチコピーに食指が動いた。

 愛されるより愛することを選んだ
 一世一代の恋(うそ)が起こす”二つの奇跡”。
 真緒が浩介を慕う一途さが起こす再会の奇跡。
 そして、真緒を愛する浩介の思いが起こす、
 もうひとつの奇跡とは----?

 そしてエンディングには、
 驚きと嬉しさで涙があふれる
 《恋愛映画史に残る最高のラストシーン》が
 待っています。
 
ここまで煽られちゃうとねえ
据え膳喰わねば馬太郎の恥でっせ。となるわけさ。

とかく映画においてハッピーエンドはタマにキズ
なのだ。名作にハッピーエンドは許されない。
こういう風潮はいつからなのか?
映画を芸術としちゃたからか
喜劇より断然悲劇が芸術的なのだ。
だからコメディータッチのハッピーエンドなんて
低俗な娯楽作品でしかない。
わたしゃ映画は娯楽だって思ってる人だからね。

そういうのもあって、日本映画には
ラストに含み(成功すれば余韻)をもたせた
下駄を履かせたような逃げ口上が蔓延してる。
そんなに芸術したいのか?
ここにも松本清張VS藤沢周平の代理戦争がある。

この映画、原作とはそのハッピーエンドの表現が
若干違うのだそうです。
たぶん、この映画が企画されたときに
スタッフのなかで相当話し合われてと思う。
それで付け加えられたラストの数分間を
はたして蛇足と捉えるか、勇気ある英断とするかは
あなた次第ってことでしょうかね。
わたしは断然絶対に後者に一票ですけどね。

ここでも、先日の映画の台詞とリンクした。
「人は二度死ぬ
 一度目の死はその生命を終えたとき
 二度目は人々から忘れ去られてとき」

ネタバレ御免でいうと彼女は記憶障害だ。
そしてこの作品がプチSF・霊界ものであるところの
彼女が消える=その記憶さえもなくなる。
変な喩えですが盆と正月がいっぺんに来る
悲しみよこんにちは、なのだ。
そのとき、愛するということ、生きるということ
そういうことをどう受け止めるか
そういう作品でござるな。

これ、恋人同士とか夫婦で観て
その後、二人でいろいろ語り合うによい
作品ではないでしょうか。

愛されるより愛することを選んだ

か・・・フロムだね。

それと、中学時代の主人公浩介
いじめられる転校生のヒロイン真緒を守る
ナイトぶり、いいです。
男はああでなくちゃあねえ。女は惚れないよ。
「コウスケ」どんな漢字をあてはめても
なんか良い響きだなあ。
わたしなかんか「馬ちゃん」「馬太郎」だもん
なんか響きがね・・・松竹新喜劇か落語なんだよな。
でもなあいまさらねえ
中途半端ウマスケとしてもなんか間抜けだし
あ~あっ、軽率だったなあ(涙)