あかんたれブルース

継続はチカラかな

中島みゆきボーダレス疑惑



律子からボーダーに関する情報として
こういうブログを紹介されました。
http://foxyborder.exblog.jp/16156789/

こういうタイプ、傾向をみながら
ある事と考えが結ばれた。
みゆき嬢ってボーダーじゃないのか?
それを符号させる曲があります。
https://www.youtube.com/watch?v=3I1hs6BSnAg

『恩知らず』というタイトル
そのもの(汗)
景気の良いみゆき節で開き直って歌い飛ばしている
その歌詞は切ない彼女のテーストだ。

昔から癖のある人だとは知っていました。
しかしあれほどの英知というかインテリジェンスがあって
まさか「境界性パーソナリティ障害(通称ボーダー)」
だなんて・・・
こんなこと記したらみゆきファンからどんなお叱りを
受けるかドキドキです。
それは西郷隆盛が維新後はうつ病だったというのと
同じくらい超際どい推察なのであります。

だけどさ、よ~く考えてごらん
あれほど頭が良くて、まあまあ美人で・・・
それがなんで失恋ソングの女王なのか?
それも前半のそれは確実に実体験の裏づけからだ。
なんで男たちは(一応複数)は
彼女から逃げ出したのだろうか?
あのユーミンでさえも天下を取ったのに、ですよ。

そのヒントはみゆき嬢の曲にゴマンとあるとして
この『恩知らず』は決定的な証拠じゃないのか。

聞いた話ですと太宰治もボーダーだったとか
それもうなづける話ですね。

そう思えば、みゆき嬢のシングルヒットの代表作で
彼女をメジャーとして世間が認めた『わかれうた』
その歌詞2番を噛み締めておくれ

♪だれが名付けたか 私には
 別れうた唄いの 影がある
 好きで別れ唄う 筈もない
 他に知らないから 口ずさむ

この影とは、あらかじめ予定されていた
彼女が背負う、障害だったといえるのでしょうかね。

そう考えると障害ってなんだろう・・・
それを=病気とか疾患とするけれど
まったく違う捉え方でいえば五体不満足乙武君が
いったんだったか誰がいったんだか定かではありませんが
「障害それは個性だ」という言葉も
まんざら詭弁ではない気がするよ。
わたし自身があっという間に障害者1級に認定されて
そう思うわけだ。

障害はその人本人の問題であって
そりゃあねえ本人さんは大変な苦痛や不便が
あると思う。
それは他人からすれば同情以上の領域から
踏み出せることはできないし、
その同情でさえも
上から目線とか昨今はやたら口喧しい。
皮肉なのはそういう痛みのなかから
たとえばみゆき嬢の場合であれば
そこから数々の名曲を生み出して、私達を癒してくれた
わけです。これはまるで宿命というか天命みたいなもの
なのかもしれませんね。
それを、中島みゆきという人が
どういうふうに受け止めて、咀嚼したか
それは彼女自身しか知らないことなわけだ。

こういった障害は精神病ではないので
薬での治療は難しいそうです。
医療機関はどうしても投薬治療に重点をおくので
(経営とか効率性からすれば)非常に厄介な代物で、
そのせいもあって双極性障害とか統合失調とか
見繕って処理してしまう場合も多いようだ。
その痛みをその場しのぎに緩和させるのには
いいのかもしれないけれども、主犯格はそこじゃない。
中島みゆき『あわせ鏡』の一節の歌詞には
♪明るい顔ができるまでには クスリたくさん必要よ
 大丈夫よって言えるまでには お酒 必要よ

なんてある。カバーですが
https://www.youtube.com/watch?v=8cB7UbDCsuA

はたしてこういう意識が、障害なのだろうか
わたしには率直で誠実な人間の思考じゃないかと
思うんだけどね。
そう考える人は少なくないんじゃないかあ
だからほおっておけない。
そしてついつい手を差し伸べてしまう。
その先には破綻や悲劇があるというけれど
それは決定事項なのだろうか?

昨日、『ゼロの焦点』で男の深情けと記しました。
もっといえば、この男のキャパを超えてしまった
わけだ。
男はその重みに耐えかねて逃げようとした
それが事件の発端となったわけです。

話を『恩知らず』に戻して
確かに、みゆき嬢の性格に問題はある。
そのために男たちはボロボロになったわけですが
それは男たちの不甲斐なさも無縁じゃないわけだ。
だってそのことは最初から承知の上だった
わけでしょう。
こういった障害は根が深いものです。
正論や理屈通りいかないのが世の中であり人間だ。
なんらかしらの不信感をもって歪んでしまった
相手であれば、それを本人さんと一緒になって
それこそ命がけでそれを払拭させることが大事であって
ボロボロになろうがズタズタになろうが
最後まで全うしなきゃならんと思う。
結局、そこで(相手は)自分を選択してしまったんだな。
手厳しい物言いになりますが
障害があろとなかろうと、恋愛とかの「誠」は
そういうものを超えたところにあるんじゃないか?
それが一途さんであり、色気なんだと。
朝ドラの『マッサン』で二人は国籍という障害を
のり越えようと奮闘努力の毎朝じゃないか。

高橋お伝という明治を代表する毒婦がいる。
稀代の悪女として語りづがれている犯罪者であり
それによって死刑になった殺人犯だ。
彼女をモデルとして
数々の芝居や小説や映画があります。
それもあって高橋お伝=毒婦なのですが・・・
彼女はらい病に冒され視力を失った夫を
治療するために
横浜のヘボン医師頼って介護し続けている。
そのなかで生活に困窮して転落していくのですが
(夫はその途中で死去してしまう)
その後に出会った男がワルだった
というのもあるけれど
わたしゃどう考察してもお伝を毒婦とか悪女とは
思えないんだよなあ・・・美人だしねえ(笑)
むしろ健気で誠実な女性だと、同情しちゃうよ。
でも世間はそうじゃないみたいです。

いつの時代であっても
人間というものは愛を求めるものです。
そこには条件や環境から
そのなかでの障害はつきものだ。
そこを超えるところに価値があるんだと思うのだけど
その障害の条件で挫折するとすれば
それはなんのことはない
お互いの力の足らん具合による
ものであって、それまでのそれだけの話だったって
ことなんじゃないのかな。
それが即、病気のせいイコールじゃないと思うよ。
腹の括り方の問題であって
それは双方の力量のせいだといえば、厳しいのかな
塩野七生だったらそう言い切るよね。
なに?私達はローマ人じゃない?
まあローマ人だろうがフェニキア人だろうが同じさ。
認める認めないは別として、好き好きですが
でもそうしないと
この件はいつまでいっても堂々巡りで
やたら病人を増やすだけで心無い心療内科は高笑い
みたいなのって嫌だな。
また薬漬けで潰れていく人も多くなりそうなので
このへんではっきりさせておいたほうがいいと思うよ。

愛がすべて、なんて簡単にいうけれど
それって命がけということをどこかで忘れている。
そのくせ映画みたいな恋をしたいと願う
それなのにちょっとつまずいたり障害があると
尻尾をまいてしまう。これじゃあねえ
人生山あり谷ありなわけで
結婚式のときにも良い時も悪い時もと誓ったはずでも
良い時はいいけどちょっと悪くなると相手のせいにして
いがみ合ったりするのが世の常です。
女房と畳は新しいのに限るとか、釣った魚に餌はやらんとか
亭主元気で留守がいいとか
それはそれぞれの劣化であって堕落でしかない。
病気じゃないんだよ。

甲斐性があればキャパがあれば
それこそ何人愛人がいようがかまわない。
だけどそれがなければ、たとえ一人の相手でも
愛せない。

愛せないわけだよ。だって自分が一番なんだから
愛する以前に傷つくことを怖れているしね。
これってまさしく自然の摂理じゃないのか?
そこに残酷とか平等とか自由云々なんて文言は
通用しないんだと思います。

そういう意味もあって、『モテキ』のハッピーエンド
もう一度噛み締めてみるのもいいのかと思いました。
寅さんの甥っ子満男とも比較してみてね。
あの優柔不断の演出も問題にしてくれ。

最後に一応断っておきますが
みゆき嬢がボーダーだろうがどうだろうが
わたしが彼女を尊敬するのになんら支障はありません。
ただし、前々からいうように
わたしは彼女とは所帯はもてない
それはわたしのキャパではとても歯がたたない
自信がもてないのだ。
それに彼女はわたしがいなくて生きていけるしね。
そんなオヤジの妄想でありんす。