あかんたれブルース

継続はチカラかな

二本まとめてちょうどいい具合



透析中の暇つぶしにとついつい借りたのが
たけしの『アウトレイジ(2010年)』。
実はたけしは嫌いじゃないんだけど、いや好きかな
たけしの映画は肌にあわないんでやんす(汗)
その男、凶暴につき』からどうもシックリこない。
それなのに「世界のキタノ」と評価は高まっている。
つい最近も『アウトレイジ ビヨンド』をひっさげて
ベネチアに乗り込み金獅子賞にノミネートたれたという。

その前作はどんなものなのか?
(色々な意味で)よくなかったら続編なんか
制作されないよね。
(こちらもカンヌでパルム・ドールにノミネート)

ま、そういうわけで借りたのですが
その前に、たけし映画でもっとも評価の高い
HANA-BI』(ベネチア映画祭で金獅子賞受賞)を
恥ずかしながら観ていなかったのだ(汗)
それほど距離をおいていたわけです。
であれば、まずそこからと思って
こっちも一緒に借りたわけだ。

で、『HANA-BI』ですが、良かったです。
バイオレンスと対比するような夫婦愛というのかな
その動と静のギャップから
末期ガンの妻を労わる男の最後の旅路というか
寄り添う二人の男と女の営みがなんとも
しみじみ~としちゃってね。泣いちゃったよ。
たけしのバイオレンス観については
また稿を改めるとして
この作品については82点の好評価であります。

というわけで、心の整理もついたことで
即、『アウトレイジ』を観たのですが・・・
悪くはないいでしょうが、結論として
「不完全燃焼」だった。まさか
次回作を予定してという戦略でもないでしょうが
なんとも殺伐とした渇いた作品だった。
暴力バイオレンスのオンパレードで
台詞の「なんだ馬鹿野郎」の多いこと多いこと

「お前等、荒井注か!」と夜中に独り言を連発(汗)

いまさらなんで?
どういう意味があって撮ったですかと
ツッコミいれたくなったですよ。
でね、この手の映画によくある最後には
大方が片付いてしまうわけなんですが
その死様、誰が殺したか誰に殺されたか
どんな塩梅で息のを止めたか、というのが
わたしのフラストレーションの理由じゃないかと
思うわけです。どうもそれが
次回作のビヨンドに引き継がれているようで
こりゃ観ないとな、と考えてしまうわたしは
すっかり術中にはまってしまったのか?

悪徳悪行が演じられる映画とかの世界で
観客である私達はそこに勧善懲悪で
最後は悪人達をバッサリミッチリやっけてほしい
わけです。水戸黄門でも桃太郎侍でも暴れん坊でも
でも大方は峰打ちで法の裁きに委ねるのがお約束。
例外からいえば破れ傘刀舟
「てめえらなんざ人間じゃねえたたッ斬ってやる」
がテレビでは例外中の例外
座頭市も残酷ですが居合いの達人なので
どんな悪人もアッという間ですからねえ。
まるで腕の良い外科医のようだ。
そんなんじゃ気がおさまらないわけだ。

その点、池波正太郎の『鬼平犯科帳』なんかでは
これはという極悪人には苦しませながら殺すよね。
タイトルとは異なり人情噺のベースでありながら
こういう残酷な正義を貫けるところに
池波・鬼平作品の魅力があるのではないかと。

それと、だ
その悪人を誰が始末したのか?も重要です。
どうせ悪人なので最後はロクな死様はしないは
いいとして、その執行人がこれまた悪人で
それによってサクセスストーリーにされちゃうと
なんか釈然としないわけだ。
むなしさだけじゃあ身がもたないんだよね。

こういうことをいうと、死刑論まで発展して
そういう考えは意味がありません!
と説教されそうで憂鬱だよ。
そういうことはあまり関係ない部外者だから
客観的に冷静に理論的に正論としていえるのでしょうが
そういう正論がどこまで効果効力があるのか
わたしにはわからん。
しかも映画、ドラマの話じゃないか
こっちとら傍観者でもすっかり感情移入してる
単純な人間ですからねえ。

作品としての映画にはそれぞれどんなものでも
「テーマ」があると思う。
駅前旅館でも寅さんでも貞子でもなんでも
ところがさあバイオレンスとなると
そのビジュアルショックが一発芸的な見世物になり
それがテーマ性を超えて一人歩きをしてしまう
ことがよくあります。
もともとはインパクトとか演出の一部だったはずが
それこそ『世界残酷物語』となってしまってる。
昔、安藤昇プロデュースで『片腕切断』なんて
あったもんね(汗)。

こういった残酷性の代表作として
東映実録路線の『仁義なき戦い』シリーズが
挙げられるでしょうが
(これゴッドファーザーやバラキの影響から)
少なくともこの作品にはその暴力の動機付けがあった。
アウトレイジ』にはテーマ含めて、
そのバイオレンスにはそれがあるのだろうか?

やくざ、裏社会だから
という理屈はちょっと弱いとわたしは思うのだ。
といってもこういった言動はなにもアウトロー社会
だけではなく現在の表社会にも蔓延してる。
それは暴力まではいかないまでも
その意識とか表現とかアクションは多いです。
ブラックといわれる企業とか
体罰とかいじめなど、体育会系のノリとか色々・・
わたしはそういうものを含めての一色タンにした
「暴力」というものを100%否定はしない質ですが
どうもなんか違うんだよねえ。

そういった背景には効率性とか競争原理とか
資本主義の原理とか
なんかもっともらしい理屈が並べられていますが
どうも納得できない。
ああいうやり方在り方で本当に効率効果があがるの?
と首を傾げてしまうのだ。
すくなくともちょっと前はそうじゃなかった。
暴力教師というのはそれこそ掃いて捨てるほどいた
時代でしたが、そのゲンコや平手にも
それなりの手加減があったし愛情とはいわないが
愛嬌のようなものがあったのもです。
徒弟制度の社会でもそれは同じ。

アウトレイジ』のなかで
軽口を叩いた子分を後ろから幹部の白竜が
陶器でドカンとやるシーンがあります。(死んだ?)
これも緊張感リアリティーを出す演出なんでしょうが
それは逆にそこにリアリティーないと思うよね。
だってそういう雰囲気の組織であったら
子分が不用意にあんな軽口はたたかない。
たたいたとしても軽く殴るか叱責です。
どうかしたらあの子分死んだんじゃないか?
死なないまでも
そんなんで組織が運営できるわけないじゃないか。
それに簡単に人殺しすぎ
たとえ映画であっても、そういうふうに解決できたら
やくざも苦労はしませんって。
中国人じゃないいだから(汗)

それはまあ映画の話ですけどね。
問題は、それを模倣する輩が増えちゃうってこと。
そういうものを、そういうものかと合点して
実社会実生活で応用しちゃうんだな。
こういうバカ、たくさんいますよ。
いるでしょう。あなたの周囲にも
なに?お前もか(汗)

そうなると現実社会でリアリティーのない
漫画のような環境が生まれたりするんですよね。
もうこうなるとお調子者の大河ドラマだ。

昔さあ、『巨人の星』とかで
星一徹に感化された馬鹿親父が結構いたですよ。
うちの父親もそのうちの一人でしたけどね。
子供はいい迷惑なんだよな。
原作者は梶原一騎だぞ!
あんなキチガイの拵えるキャラに感化させられるなんて
ま、それほど影響されやすいって話ですよ。

というわけでいろいろツッコミ処は満載ですが
キリがないので、『アウトレイジ』は51点。
それでも続編『ビヨンド』は観たいと思う
俗物の馬ちゃんでした(汗)