あかんたれブルース

継続はチカラかな

今を支配してる掟の正体



『アウトアウトレイジ』および『ビヨンド』を
さんざん貶したのですが
これにはたけしだけのせいじゃなく
日本映画、社会の傾向としての迂闊がある。
映画とかであれば、やくざはネタとして
取り上げやすい題材ですよね。
アウトローとか反社会的というか
現実世界で窮屈に生きてる我々には
欲求不満の解消のようなものでもあるとか。
そこにまたバイオレンスが付随する。

ただし、スカッとするかといえば、そうでもない。
そこには、因果応報のお約束があって
それを滅びの美学なんて胸を張る。ホントかね

やくざを任侠とか侠客なんてする時代は
もう遥か昔。戦後から「暴力団」と
位置づけられて、すっかりマフィア化してしまた。
それは企業化といってもいいかも。
これは山口組の全国制覇から
サン地下開発、関西空港空港立地、バブルなど
やくざが経済発展と歩調を合わせてきたことにも
よると思われるわけです。

だいたい昨今描かれるやくざはみんな小綺麗で
金持ちですよね。上質のスーツと高級車、豪邸
実際そうなんでしょうが、その表面だけ浚うと
なんかどこかのベンチャー企業だ。

アウトアウトレイジでの企業体質やら
幹部のヒステリー症状、暴力支配を眺めて
あれじゃあ組織がもたないだろう
あれじゃあ単なるブラック企業じゃないか
と感じるのはおかしい?
実際にそのまんまだとしたら
山口組やら稲川、住吉、工藤会なんかに失礼かと。
ま、映画ではその因果応報でみんな殺されるわけ
ですが、なんかねえ。

昔、山口組の戦闘集団だった柳川組をモデルにした
京阪神皆殺しの軍団』というのが制作され
その試写会に元組長の柳川次郎が招待された。
その試写後の彼のコメントは
「あれじゃあたんなる人殺しじゃねえか」
とぼやいたといいます。
殺しの軍団といわれた組長でも苦言を呈す。

どうせやくざだ暴力団
なんてこういう甘い考えは不味いと思うよ。
なんで広域暴力団は存続し勢力を拡大し
続けているのか?
それは経済的や(暴力)力の存在もあるでしょうが
それだけじゃない。
飴と鞭というのがあれば鞭ばかりじゃなく
ちゃーんと飴も用意されてあるんだ。

やくざじゃない堅気の一般企業や組織、職場で
合理的、効率性、競争原理ばかりを言い募り
鞭ばかりで支配さる傾向が強い時代です。
そういうんじゃ長続きしないと、思う。

さて、その飴について
無論そこには現金だったり役得だったり
あるのですが、弛みとか居心地の良さ(場)とか
あるものです。弛みとはある種のデタラメさで
こういうのが管理社会体制やグローバル化
だんだん希薄になってきた。
でね、やくざ社会には任侠というのがあった。
(これはやくざ社会だけじゃなく一般社会にも)
これが曖昧になってしまったんですね。

たとえば、高倉健がこう歌った
「義理と人情、秤にかけりゃ
 義理が重たい男の世界」とかなんとか
義理>人情 なんですが
ただし、この義理=忠義じゃない。
これを日本人は近代化のなかで履き違えている。

この義理のなかにこそ任侠があるんですが
この義理の履き違えの拡大解釈から
任侠道も大義名分のお題目化してしまった。
これはやくさの堕落ではなく、日本人の堕落です。
もっといえば、武士道さえも誤解してる。

黒澤明の『隠し砦の三悪人』にあった
「裏切り御免」を思い返しくださいな。
任侠は儒教に支配されないのだ。
つまり礼節や忠義を超えたものである。
仁義なき戦い』が面白いのは
主人公が自分の親分に弓を引くから面白いのだ。
ただし、最後は躊躇する。殺せない。
そこにヤキモキさせられるのですが
実際に主人公のモデルがそれを実行したら
極道社会では生きていけません。許されない。
だから生きながらえわけだ。そして、
だから、味方であるはずの
三代目山口組組長田岡一雄もモデルである
美能幸三を認めるわけにはいかなかったのだ。
それをやったら極道社会の崩壊を招くことを
理解していたからです。

たかが映画じゃないかやくざじゃないか
社会悪なんだからみんな殺せばいいんだよ
じゃあダメなんだな。
それは戦争は悪なんだから
とにかく軍部が悪いんだよと同じで
多少デフォルメしようが切り捨てちゃえと同じで
非常に危険だと思う。いや危ないんだよ。

たかが映画というけれど
これって時代を投影し、そのなかで
ある種のスタンダードを構築させていくものです。
たとえば、中国の歴史なんていものは
その時代時代に肉付けされていったのだ。
それぞれの時代に納得できるように手が加えられて。
それはあるときには手本とされ、模倣され
そして行動原理の裏づけにされるものです。

ここにお約束みたいなものがある。
映画やテレビ(の脚本など)にもこのお約束が
あるのだ記しました。掟があってタブーがある。
これを犯した制作者もしくは登場人物は
確実に死にます。殺される。
この法則は舞台の内でも外でも
すべてにいえる。
水戸黄門でもVシネマでもケータイ小説でも
邦画ならほぼ100%そうなのだ。
それは世界のたけしでも越えられないもので
まあ越えようとも思っていないかもね。

情け無用の渇いた思想が浸透している。
それを現実だとかかっちょいーなって信じてるのは
軽薄で浅はかなものです。
また、現実の暴力団組織というものも
そんなに甘く単純なものじゃない。
フィクションだろうがノンフィクションだろうが
堅気だろうがやくざだろうが
それはみーんな同じだ。

現実社会のなかで非現実的な芝居が横行してる。
それじゃあ身が持たないし、なんにせよ
長続きしませんよ。
信長恐怖政治と同じ。
息の長い組織がどうやって生き延びているか?
それは力だけでも運だけでもない
そこには他にも理由がいろいろあると
思うのだ。
歴史を学ぶというのはそういうのも含まれる。