あかんたれブルース

継続はチカラかな

時間と手間とカネを要する民主主義とやら



かつて文学は哲学と限りなく密接な
関係にあった。
といって文学=哲学というのではなく
文学の下地に哲学が敷かれていたみたいな
それは科学や技術や音楽すべてに共通する
ことだったと思う。

そういう哲学をわけわからなくした原因
のひとつに言葉尻揚げ足取りがある
と思うのです。絶対じゃないと納得しない。

そんななかで先日の国会質疑
石原慎太郎日本国憲法の「てにをは」の
誤訳についって、これだけは誤解のもとだから
すぐにでも訂正すべきではないかと申していた。
これについては、くだらない野党議員の
質問追及のなかで唯一、納得できる提言でした。
無論、石原さんの悲願は憲法改正、特に九条の改正
にあることは自他ともに認める周知の事実。
その是非は横においても
石原さんはこれだけは面倒な手続きによる
国民投票云々という時間と手間とカネのかかる
民主主義のお約束を適応させるんじゃなくて
実際に間違っているんだから
それによって誤解を招いているんだから
直ぐにでも修正したらいいんじゃないかと
いっていた。
わたしは石原さんは好きじゃないけど
この件に関しては、諸手をあげて賛成だ。
それは応答にたった安倍さんも同じみたいですが
なんせねえ、これだけのことでも動かせない。

そういうところに民主主義の価値がある
ようにいわれる人もいるけど
そんなところに価値を見出すのも変な話だ。
また、これは前記した「言葉尻」をとっての
云々じゃないことも確かだ。

川内原発の再稼動が
地元議会で賛成多数で可決したようです。
これもまた民主主義だからねえ。
再稼動をもとめる地域住民の陳情があってのもの。
わたしは基本的には原発反対ですが
どうしようもない。皮肉を噛みしめるだけ。
沖縄の基地問題と同じでさ
他所にというその他所はどうなのか?
基地自体をなくせるんだったわかるけど
ま、それも現実的には今現在は無理な話で
中国、北朝鮮、韓国といった東アジアのこの情勢
なかなか理想だけでは通せない。

私達はどこに行こうとしているのか
それともどこにも行かないように
踏ん張っているのだろうか

北朝鮮との拉致問題交渉
家族会の懸念どおりの展開ですねえ。
それでも原則論で布石を打っていこうとする
政府姿勢。
理論的なようで、ホントにそれでいいの?

他人の顔色ばっかりうかがってる姿勢は
どんな場合でもロクなことにならない。
どころか
ゴネれば高値で丸儲け
みたいな大義名分がさらに浸透する。
民主主義ってホント高くつくものですねえ(汗)

それすべて税金だぞ!