あかんたれブルース

継続はチカラかな

厄年1975年ぴんこな怨念譚

男は黙って醤油ラーメン・3


1975年の健さんは厄年だった。
この年公開の『神戸国際ギャング団』は
ヒドイ出来だった。
さすがの馬ちゃんも新宿昭和館であんぐり
石橋蓮司が唯一印象に残ってるぐらい。
共演は菅原文太だった。
当時の東映のエースは文太
だけどその文太をエースに押し上げた
東映実録路線もこの年の『県警対組織暴力』を最後に
精彩を欠いてしまう。
文太はトラック野郎に新境地を求めるのですが
健さんはその前の世代さ。
そのテコ入れもあっての企画だったんでしょうが
なんともこれが、困ったタヌキでした。
モデルは山口組の菅谷政雄ですが
映画好きの菅谷もさぞがっかりしたことでしょう。

東映社長岡田茂は「鶴田も高倉もいらん」とか
いったそうで、健さんとの確執が表面化した年
そんな年の文太との共演企画が
『神戸国際ギャング団』と『大脱獄』だった
いずれもはかばかしくないのは痛かった。
翌年、『君よ憤怒の河を渉れ』から東映と距離をおき
3年後の『冬の華』を最後に
東映を離れた。

幸福の黄色いハンカチ』(松竹)はその間の77年。
健さんにとっては俳優人生を賭ける
大きな仕事だったんだね。
因みに『八甲田山』(東宝)も77年。
その後の高倉健の方向性を定める二本の作品に
出会ったわけです。

健さんが去って、東映を背負った文太ですが
人気シリーズトラック野郎は私的には
さほど面白くない。
実録路線もマンネリ化して
『日本の仁義』から『日本の首領』・・・と
大作ものに奔るけど文太の魅力はイマイチ出し切れてない。
結局、文太も東映を出ちゃうわけだ。
『犬笛』からですかね。
その後を継いだのは松方弘樹でしたが・・・

因縁の1975年の健さんと文太のもうひとつの共演作
『大脱獄』もう、まったく記憶に残ってない。
ただひとつ
強烈なヒールを演じた文太が劇中でお色直し
その毛皮ファッションがインパクトあってね。
わたしのファンションセンスのDNAが
壊れてしまった!
それからだよミスタートラッドが
謎のシンガポール人になっちゃったのは(涙)
どうしてくれるんだよ文太(怒)

いや、呪いをかけられたのは文太のほうでした。
誰がかけたと思う?
泉ピン子だよ(汗)

祟りの1975年・・あの『神戸国際ギャング団』でだ
文太はピン子を相手に嫉妬したり
濃厚な(?)な濡れ場を演じた。
脚本がそうなってるんだ。社命だから仕方ない(涙)
健さん以上に自分の役者人生に疑問を感じた思う。
それは7年後に的中する。
なんとTBSであの『幸福の黄色いハンカチ』が
ドラマ化されちゃった。
その主人公島勇作が文太なんだけど
ヒロイン島光枝が泉ピン子なのだああああ!

制作発表記者会見で文太は困惑を隠せず
「なんか・・・違うと思うんだけどなあ」
と漏らしました。
わたしはっきり憶えています。

しかしこの因果噺どう思う?
わたしゃ最近毎朝丸髷のピン子見るたびに
えんがちょえんがちょと唱えてますがな。
そういえば文太は千と千尋の神隠し
釜爺役でえんがちょ唱えていたなあ
あれはきっとピン子除けに編み出した
文太の自前のアドリブでっせ。

今夜やるみたいなんで確認してみてね。