あかんたれブルース

継続はチカラかな

33年目の和解の駅 STATION

男は黙って醤油ラーメン・6


司馬遼太郎の作品は読む年代によって
その感じかたがまた違うといいます。
味わいかたがね。
それは経験していました。

そのことを確認してみたいと
ずっと思っていた作品『 駅 STATION 』
レンタルショップではみかけても
なかなか借りるまでにはいたらなかった。
それが
高倉健追悼番組として思わぬ再会とななった。
録画して、家族が寝静まってから
気合を入れて観た。

あの強烈ないしだあゆみとの別れの場面
わたしの記憶は正確だった。
それだけが33年ずっとしこりになっていたんだ。
あの頃、二十代前半の若造が感じたものと
いまの自分が感じたことと
どう違ったか、どう変わったのだろうか。

ひとことで、いい作品だった。

もしかして、これを高倉健の最高傑作
といっていいのかもしれない。
倉本聰の脚本が良い。降旗康男も良い。
そしてなんといっても倍賞千恵子が、良い。
そして流れる八代亜紀の「舟唄」が実に良い。
後半の【1979年12月 桐子】の章
冬のうらぶれた居酒屋で寄り添う男と女
そこだけ切り取ってもPVとなるだろう。
しみじみとさせられる作品でした。
結局、それが若造にはわからなかったんですかね。

当時のわたしのわだかまりは前半の15分で
健さんの先輩を演じる大滝秀治
なぜいしだあゆみと別れる必要があったのか
という苦言に対する
「馬鹿なんですかね」という健さんの自嘲で払拭された。
そうかあそうなんだよなあ。

人間、生きていればどうしたって
しくじったり過ちをおかしたり挫折したり
後悔しても反省してもどうにもならないことはある。
それはいまこのときであってもわかっていても
どうにもできないこともあるものです。
若い頃は、それがわからなかった。

映画とかいうのは
そういう人たちにとっての癒しというか慰めというか
救いでもあるんだなあとしみじみと思いました。

この作品と『幸福の黄色いハンカチ』と
『居酒屋兆治』を結んで観るといいかも。
なんとなくね(笑)。

これで、『 駅 STATION 』から始まった
わたしの健さんへのわだかまりはひとつ解決です。
あとは『居酒屋兆治』か・・・

でね、ふと
英治(健さん)の妻が加藤登紀子ではなく
倍賞千恵子だったら・・
こうなると話は違ってくるぞ!
と急に思い立って大混乱ですよ。
実はこれ一昨日に急に閃いてしまったのだ。
そして今しがた『 駅 STATION 』を観てて
わたしの予感は的中しちゃった(汗)

そうかそういうことだったのか
どういうこっちゃ!

ま、そういうことですよ(汗)。

結局、俺は健さんのようにはなれないんだな。
この桐子のような女がいる。
東京駅まで送っていきました。
もうこれで会わなくなるかもしれないと
女はいう。
見送られるのはつらいから
ここでお別れと女は背を向ける。
その肩がかすかに震えている。
ぽつんとホームに小さな女が泣いている。
発車のベルが鳴って女が車内に消えていく。
俺は健さんはなれない。
走り出して女をホームに引きずり出した。
抱きしめた。
困惑する駅員。
新幹線は静に動き出す。

「どうするの」

「どうしよう」

「・・・」

「どうにかなるさ」

人生いきあたりばったり
これが俺の『 駅 STATION 』
奇想天外一寸先はキャッチバー
饅頭こわい毒を喰らわば皿までも
三千世界の烏を殺し主と朝寝がしてみたい
寅にはリリーが健さんには倍賞千恵子
そして俺にはお前が、よく似合う。

さあて、糞して寝るか。