あかんたれブルース

継続はチカラかな

さようなら、そして有難う

男は黙って醤油ラーメン・8


健さんの生き方に一線を画さざる負えなかった
若き日のあんぽん馬太郎が指針にしたのは
文太だった。
時期的に東映の顔の新旧交代にあったしね
任侠路線から実録路線への転換期に
青春まっさかりだったわけです。

文太は健さんほど我慢しない。
インチキで怪しい大人の上役に噛みつくわけだ。
まずそれにシビレタ(笑)
そんな文太も路線変更を余儀なくされる。
時代の流れは速いんだよねえ

そんな1980年。
文太はNHK大河『獅子の時代』で
無名の会津藩平沼銑次を演じた。
これにやられた。
尚、この大河ドラマは架空のもので
登場人物は実在はしません。

このドラマで文太は大原麗子を守るのだ。
負け組である無力な男が精一杯を賭けて
一人の女を守る気迫に参ったよ。
そこには名誉と栄光なんてまったくない。
端からみたら「愚かな善人」なんでしょう。

対して、このドラマのもう一人の主人公
加藤剛演じる薩摩藩士苅谷嘉顕は理想主義者で
勝ち組でありながら、まったくなにもできない。
不甲斐ない限りなのです。

男の甲斐性ってなんだ。

文太は東映実録路線時代から
狂犬とか破滅を予感させるちょっと愚かな人間を
演じてきましたが、同時にそこに「情」がある。
煩悩の人
義理と人情秤にかけて義理が重たい
高倉健の世界に対して
文太は人情のほうが重いのだ。
やくざを演じても愚かな「善人」なんだよね。
それも常に捨て身の。

そして、運命の1981年『駅 STATION』ですよ。
因みに『獅子の時代』は山田太一
『駅 STATION』は倉本聡の脚本。
テレビ界の両巨匠の対決に
文太と健さんの代理戦争、とはいわないけど
わたしのなかでは象徴的な男の在り方を問う
作品となったのだ。

いしだあゆみを泣かせた健さんが許せなかった。
賠償千恵子を抱きしめて連れ去っていけない
健さんに歯痒さを痛感したんだ。

そこには憧れてもなれない高倉健に対する
スネもあったでしょうね。
でもそれ以上に文太に痺れていた。
模倣しましたよ(笑)
先輩だろうが上司だろうがクライアントにも
ここぞというときは噛み付いてた(汗)
そのことはデビュー作
『訓録仁義なき戦い』(徳間書店
にも書いています。
文太でなくとももうちょっと頑張って
松永(成田三樹夫)や武田(小林旭)を目指そう!

1980年、1981年・・・
そして1983年の『居酒屋兆治』で
健さんと文太の因縁のまったく私的な葛藤に
大原麗子が「さよ」という女に化けて
健さんの喉元にナイフを突きつけたわけさ。

ここでも健さんは無力なのだ。
そのストイックはなにを守るためのものなのか?
倫理か家庭かそれとも男の生き様か?
加藤登紀子を捨てろ。とはいわないけれど
もっとなんとかできないものか、と。
文太だった山田太一だった違ったかもね、とか。

思えば、『駅 STATION』のラストで
健さんは辞表を破って燃やしていた。
あそこ、だったよね。
あの主人公はさまざななしがらみを引きずっていた。
逆にいえば、そういう守るべきものが
たくさんあったんだと思う。
それがゆえに身動きがとれない。
不器用であって
本人が自嘲する通り「馬鹿」なんでしょう。

文太にはそれがない。いや少ない。
それこそ『炎のごとく』、捨て身なのだ。
さほど期待されることもなく
無理だ、駄目だと否定される者にとって
そういう捨て身しかないんだよね。

それがこの30年の確執というか
隔たりになっていたと思う。

名優が死去すると、総じてすべてが
彼らを賞賛する。
これもまた日本人の特性です。
生前の渥美清にはやれマンネリだなどと
批判を浴びせていたのもすべて消去して
賞賛してはばからない。

そういうのが嫌いなんだ。

高倉健に対してもその死をもって
そういう薄っぺらいものにしてほしくなかった。
そういうことをこんな自分がいうのも
おかしな話だとは思うのですけどね。

それが、30年の時間があったからこそ
なのでしょうが、その死をもって
ようやくわかったようなわたしは馬鹿です。
再度『駅 STATION』を観る機会を与えられて
その間の30年の歳月が
理屈ではなく感じることができるものに
育んでくれていたことを素直に感謝している。
そして、本当に健さんご苦労様でした。
心から有難う。
あなたに映画というもの映画スターというもの
日本人というもの、人間というもの
人生というものを教わったような気がします。
長くなってしまったけれど
これをもって私の追悼高倉健にしたいと思う。

幸福の黄色いハンカチ』で
カツ丼とラーメンを注文していた健さん
『駅 STATION』ではカツ丼だけでしたね(笑)

わしもラーメンは醤油だと思うようになりました。
時間は人を変える。
いや変えるのではなく育んでくれるんでしょうね。
きっと。

ときに過酷で残酷でもあるけれど
人生とはそういう時間のなかにある
それぞれのドラマだ。
それをどう演じていくか
それだけのことであって
高倉健という人は
それを教えてくれた。

男は黙って醤油ラーメン 完