あかんたれブルース

継続はチカラかな

ストイックな友情の証とやら

男は黙って醤油ラーメン・9


年7月のはじめ、段平をどやしつけて
絶交状を突きつけた。
これまでいろいな様々な人と出合い
疎遠になってはきたけれど
こんな時代がかった行為をやったは初めてのことで
それはそれなりに、段平が特別な存在
だったっていうことなんだと思う。

段平は映画評論家だった。
誰よりも映画を愛していた。それは認めていたんだ。
段平は映画人として人生の岐路にたっていた。
人間50年生きていれば背負ってきたものから
抜き差しならない、後戻りできない、
ことになったりする。
それは背負ってきたもの比重や中身に
よるのかもしれません。

人一倍自負心が強く、反骨で頑固で毒舌家。
一般社会ではなかなか折り合いがつけづらい
規格外のタイプだった。
わたしはそういうの嫌いじゃない。
むしろ、折り合いをつけられる規格内の人たちが
一転して人間臭を露骨に出すほうに顔を背ける方です。
段平とわたしはそういう社会に対しての
アプローチは逆だったけれど
それぞれ認め合ってはいたんだと思う。
良いところから悪いところを差し引いても
わたしは段平が好きでしたからね。

この歳になって、親友ができると
予感していた。

段平は迷っていた。不安で怖がっていた。
そういうことを断片的に
わたしに相談してくれていました。

映画通というには何本観ないといけないか?
10000本なんだそうです(汗)
段平はそういうことを批判しながらも、
その権利とか資格を手放せない。
人間の一生において、10000本の映画を観るのに
どれくらいの時間を、浪費とはいわないまでも
要するか? 1.5時間として15000時間。
これをどう思う?
人間は寝なきゃいけないし便所にも行く風呂も入るし
飯も食う。試写会行くんでも往復の所要時間もあるし
待ち時間だってある。
またそれに関して語るだろうし、
多くの時間を割くわけですからねえ。

これがあいつの抜き差しならない事情だった。
映画を愛するが故に背負ってきたんだ。

この一年で二人の友人を奴は失った。
一人は自殺。もう一人は癌で急逝した親友だった。
その死がとてもショックだったようです。
あれだけ自負心の強い男が
わたしなんかに相談しその言葉を黙って聞いている。
「一人の親友を失って新しい友人ができた」
そういう文章をもらいました。
嬉しかった。

結局、わたしは一般人といわれる人たちと
上手く調子があわせられない。
訓練校の卒業式のときにある茶番に辟易して
25人のクラスメートと決別することを決めた。
段平だけ別として。

卒業式から二日後、奴からメールが届いた。
嬉しかったですよ。
卒業してから翌日のつまりその日の前日
私たちは都内のある建物に数時間
一緒にいたようです。ご縁を感じましたよね。
そして段平のほうからアプローチしてくれたことも。
奴とは繋がっているんだなと。
救われたよ。

わたしはなぜ25人のクラスメイトと
縁を断たなければならないのかを奴に語った。
それを決定的にしたのは一人の元カメラマンだった。
その男も不安と恐怖に苛まれていました。
そして自分の居場所を探そう必死になっていた。
それは段平もわたしも同じだ。
けれども彼は暴走し発狂しちゃったんだ。
周囲はそれを止めることもなく
それに扇動され放置した。
うすっぺらい世間知と処世の人間関係
そういうのに愛想が尽かしてしまったんだと。

長いメールの交信が連日続きました。

いつしか
どうしようもない鬱屈をぶつけながら
段平のそれがいつしか呪詛に陥っていた。
映画を語る資格のない連中が映画を語っていると。
立松和平などの映画本を許せないと。
その他わたしの知らない映画評論家たちの
記述ミスや盗作や問題点をあげつらっていた。
苦笑いしながら読んでいました。
いつのまにか奴の矛先はわたにまで向けられ
映画好きという資格なんってないと毒づく。
八つ当たりもいいとこなんだ(苦笑)。
酒癖の悪い酔っ払いさ。

取り乱していたんだと思う。
たださ、その異変のなかで
わたしは段平の呪縛をみてとりました。
昨年自殺したというその友人の話とか
かおりくんのこととか
いろいろな人たちのことを思い出した。

映画を愛するあまりの段平の呪詛のなかに
「映画好きのやくざ」の逸話があった。
鶴田浩二襲撃事件の犯人のことです。
これをやったのは山口組山本健一のことだ。
後に三代目の若頭となる人物。
そのことを奴は知らない。
一緒にいたのは安原会の連中で地道組の梶原清晴もいた。
別に山口組映画同好会が鶴田浩二を襲ったんじゃない。
三代目田岡一雄のための忠心のパフォーマンスだ。
そういうのは常識的な歴史的事実なのだ。
それを映画馬鹿の段平は知らない。
映画だけですべてを語ろうとするから無理をきたす。
そして他の映画評論家をこき下ろすなかで
自分自身が撒いた地雷で自爆している
そのことにも気づいていない。
そしてそれこそが呪いなんだと感じました。

わたしはその見逃さなかった。
かっこうの「お前の偏狭で御都合主義の証拠だ」
と言い放った。かっこうの証に用いた。
びっくりしたでしょうねえ。
それまで温厚だったわたしが一転して
そして一片の弁明も許さない態度にも。
途中奴はしまったと思ったでしょう。
言動が過ぎるのも奴の悪い癖なんだ。
それは十分わたしも知ってるし
奴だってときには反省もしていた。
でもそのときそれをわたしは許さなかった。

それがわたしの奴に対する友情の証だと
青い馬ちゃんは思う人で、それやっちゃ人なんだよね。
他人の批を論う前に己の世界観の狭さを用心しろよ。
そういうのを自己肯定の材料にするのは
お前が大嫌いという連中と同じじゃないか。
うすっぺらでペラペラだってお前が唾棄した連中と
どこがどう違うんだ。
言葉にもっと責任を持てよ。
「だからお前とも絶交だ」と

最後のメールの返信は
「まだよくわからないけどじっくり考えてみる」
でした。
結局、わたしもやつも生涯付き合っていける
だろうと予感した友人を失ってしまった。
六ヶ月の短い期間だったけれど
濃厚な関係だった。

自分はストイックなんだろうか。
入院中もそういうことを考えていました。
そういうときに健さんのストイックと
照らし合わせてもいたんだ。
退院後ひと月半して
高倉健が死んだ。
そしてもう一度考えてみる機会に恵まれました。
そのことは昨日までの記事に記したことです。

そんなことを段平と語ってみたかった
と思わないでもないけれど
あいつはあいつで考えることでしょう。
わたしが認めた男だもの
きっと考えるさ。

あいつは健さんが好きだった。
その逸話もいくつか教えてくれた。
あいつにとって高倉健の死は大きかったと思う。

段平、お前の呪縛は解けただろうか。
縁があったらまたどこかで会えたらいいね。
ストイックな俺から正直者のお前に

さらば友よ
お互いがんばろう。