あかんたれブルース

継続はチカラかな

つむじ曲がりのララバイ

男は黙って醤油ラーメン・11


健さんの美徳には謙虚があった。
段平にはそれがない。
いやないこともないけどすくない。
やつは自負心の塊でそういうのを邪魔にして
後ろめたい卑屈と考えていたフシもある。
それはわたしもおぼえがある。

つらつら思うに、謙虚というものは
一等の処世ではないかと思う。
それを怖れて突っ張るとついつい脇が甘くなり
迂闊になってしまう。
増長慢ってやつでしょうが、これには
痛烈なしっぺ返しが用意っされているものだ。
縁起かつぎとか非科学的な因習などではなく
経験則として割合信仰されて浸透している。

それを払拭させて果敢に挑戦するものも
少なくはないけれど、その末路は悲惨の結末
と決まっているんだな、これが。
驕る平家は久しからずとはよくいったもんだ。

政界の牛若丸こと山口敏夫とか
鈴木宗男そして彼を「疑惑の総合商社」と
糾弾した辻元清美とか例をあげればキリがない。
まるであらかじめ用意された筋立てのようだ。

これに対して中島みゆきは天邪鬼戦法をとる。
>何ンにつけ 一応は
>絶望的観測をするのが癖です
>宝くじを買うときは
>当たるはずなどないと言いながら買います

雨が好きです愛が好きです
あした孤独になれ

みゆき嬢の『あした天気になれ』からですが
これは健さんの謙虚の美徳ではなく
切ない功利主義ともいえる。
裏の裏をかいたつもりなんでしょうねえ。

とは別に真逆の思想もあるっす。
米国プロテスタントから派生した
ニューソートという宗教運動の考えは、
悪い事をイメージするとそれが現実化すると
警告している。たとえそれが否定的なものでも。
つまり、遅刻しちゃだめと
語尾に否定形をくっつけても最初のそれだけが
イキになって遅刻するのが実現しちゃうと。
これ引き寄せの法則として
また最近では『ザ・シークレット』なんかで
紹介されたものですよね。
企業経営とかイメージトレーニングとして
幅広く浸透し活用されている。

ま、これはこれで一理はあるんだけどさ
千里の道も一歩から九里より旨い十三里
なんのこっちゃ(涙)
母を訪ねて三千里
話を戻してみゆき嬢のへそ曲がり術
というかそれ以前にこの思想はあった。
美空ひばりの『柔』に
>勝つと思うな思えば負けよ

とあるではないか。
1964年、昭和39年でっせ。
戦後を東京オリンピック前後で分けるとすれば
それ以前に日本人にはこういう思想があったんだ。
だから歌謡曲の歌詞にもなって
二年連続で紅白のトリで歌われたわけです。
日本人みんなが納得できたわけだ。
一部マスコミはバッシングしたそうですが。

でね、剣道の試合に行くと
日本武道館から東京武道館、そこらへんの体育館に
垂れ幕にさ、「平常心」と同率で「闘争心」と
いうのが掲げられております。
勝負事にこの闘争心は必要ですよ。
イコール「根性」としてもいいのですが・・・
これっていつぐらいから普及したのかな?
戦中戦前の軍国主義軍隊を連想する?
だったら日露戦争からじゃない?
いやもっと古くて武士道からとか?

そうかなあ

詳しくリサーチしてないので
ここで言及はできないのですが
わたしは比較的新しいと思う。
それは剣道が武道から競技に、限りなく
スポーツ競技に近づいた頃からじゃないかな。
スポ根ものが流行った頃から
つまり昭和40年代からさ。

当然そこに戦後大量に送り込まれて
アメリカ文化とか日本の高度成長もあるでしょう。
それをどうこう言ってるんじゃない。
また、どっちが良いとか正しいとかでもなく。
そういうセコイ話じゃなくてだよ。
どっかの馬鹿右翼と一緒にせんといてほしいわ。

この間『千と千尋の神隠し』を観てて
しかしよくできてるなあと毎度のことながら
感心するわけだ。そして、
こういうのアメリカで、ディズニーで作れるかね?
と、つまり善悪がない。
あの醜い顔無しでさえも赦してしまう
この発想って日本人特有のものだよね。
アナだったら化けの皮をひん剥いちゃうもんね。
正当な報いとして。

やれグローバルだなんのといって
日本人は謙虚過ぎるなんて批判されます。
ま、たしかに過ぎるのはよくないとしてもだ。
慇懃無礼っていうのもある。

文頭に記した
健さんの美徳としての謙虚を
一等の処世ではないかとしたのは
あの中国人にそれが受け入れられたことだよ。
反日教育を受けてた中国国民に
どんな弁明や主張、プレゼンしたって
なかなか通じない。でしょ、だったわけじゃん。
それがたった一本の、一人の俳優が体現した
「日本人」で通じてしまう。
まるで北風と太陽のようです。
無論、中国人に通じたからって韓国人に通じるか
はわからないし、また中国人すべてに通じたかも
わたしゃ知らないよ。
そんなこたあどうでもいいの。
そこが問題じゃない。
よく考えろよ。

日本人の話だ。
私たちはどこかで謙虚を見失っていないか?
誤解したり適当におざなりに活用してたり
また邪険にしたり邪魔にしたり
履き違えたりしていないだろうか。

その意味で、これは日本人がもつ
一流の「処世」としてみたわけです。
段平わかったか。
俺たちはもっと謙虚にあるべきなんだ。
君よ憤怒の河を渉れ、だぜ。