あかんたれブルース

継続はチカラかな

『居酒屋兆冶』それぞれの罪と罰



『居酒屋兆冶』は不倫と倫理の奇妙な物語です。
作り手側の迂闊もあり、ミスキャストだった。

『居酒屋兆冶』は高倉健というキャラクターを重ねて
その生き様、みょうな言い方ですが処世も描いている
ことにもなる。これは免れない宿命なのだ。
因みに処世という表現は高倉縁の生き様の御手本と、
原作者の山口がサラリーマン向けの礼儀作法本を
数多く執筆していることから。

そんななかで、登場人物のなかに
伊丹十三扮する川原という鼻持ちならない男がいる。
地元タクシー会社の副社長で顔役のようですが
とにかく酒癖が悪い。
どうもシラフのときでもあんな感じのようです。
兆冶の店で毎度暴言を吐き
他の客ともたびたびトラブルになっている。
(尚、紛らわしいので栄治は兆冶で表記)

そのとき、兆冶の姿勢は煮えきらず宥め
なぜか兆冶が平謝りする。
客商売はつらいよねえ。
でも、あれ行き過ぎじゃないか?
飲食店経営者・責任者として
客は川原だけじゃないはずで、
川原以外の客はみんな迷惑している。
それなのに・・・
兆冶は常に穏便にすまそうとします。
それが川原を逆上させてしまう。
川原に殴られたのは合計3回。
結局、兆冶の我慢劇も三度までで
最後はブチキレて強烈なボディーが炸裂。
不器用ですから力の加減がわからない。
脾臓破裂で警察沙汰。
川原の命に別状はなかったようですが、前科一犯だ。

これじゃ抑止力にならない(汗)

でも観客は健さんの行為は正当なものだと
信じて疑わないでしょうねえ。悪いのは川原。
そうなんだろうか?
山口瞳の小説の兆冶と健さんにはギャップがある。
因みに山口は平和主義者、
筋金入りの反戦主義者だったそうで
「人を傷つけたり殺したりすることが厭で、
 そのために亡びてしまった国家があったということで
 充分ではないか」といってたそうですが
こういうのに限って最後は核スイッチを押しそうだ。
現に兆冶はやっちゃいましたからね。
こういう平和思想は危険思想なんじゃないか?

兆冶は店の立ち退き問題を抱えていた。
それを知って川原が好条件の不動産話をもってくる。
常連客の池部良も太鼓判を押す良い話なのですが
兆冶はそれを頑なに辞退し続ける。

理由は、その店が師匠の店に近いという
ことですが、それが表向きの理由であることは
一目瞭然なのだ。
ただし映画ではそれをはっきりとは語られない。

ここで厄介な登場人物が兆冶の親友の田中邦衛
親切ごかしにこんなアドバイスをする。
「川原さんはいつまでもガキ大将みたいな人だ。
 いばらせてやればいいじゃないか。
 もっと賢く生きようよ」
この最後のもっと賢くがよくなかった。
この言葉で兆冶は絶対に川原の話を受け入れない。
田中邦衛はそのことがずっとわからないのでしょう。

川原は確かに嫌な奴です。
多少デフォルメはあってもこういうタイプはいるよね。
できればお近づきになりたいくないし、
川原なんかに同情なんてしないのですが
川原のことを考えるとそれないりに不憫でもある。
川原は自分を肯定するために他者を否定するタイプで
場合によっては攻撃だってする淋しい人間だ。
そんな川原ですが、兆冶に認められたがっていた。
それを最初から最後まで兆冶が
完全シャットアウトなので
イライラしちゃうんでしょうね。
川原は自業自得の因果応報だから仕方ないとしても
兆冶は、健さんは、
あれでよかったのかなああ・・・
川原が少し可哀想じゃないか?
そんなこと考えないのか?
そこまで考えがめぐらないのか?
不器用だから?

健さんではなく、兆冶は川原の世話になりたくなかった。
たったこれだけのことじゃないか。
偉くはないけれど、それはそれで筋は通っている。
それを高倉健で貫こうとするから不自然が生じるのだ。

このドラマではもう一人
兆冶を退職に追いやった吉野専務(佐藤慶)という
嫌な奴が登場しますが
兆冶はそれを道理的に赦します。
それには長い時間を要したようですが
これは一応筋は通ってるのだ。
偉いと思う。

さよか店を訪ねてきたとき
兆冶は振り返らなかった。できなかったんだ。
この場面を違う役者やってたら
もっと違ったものになったと思うよ。
大スターというものにさほど演技力は求めない。
でもね、だからこそ、この『居酒屋兆冶』は
企画の段階で失敗だったんだ。
これをやるなら降旗監督はもっと別の健さん
引き出さないといけない。
それは色々な意味で無理なんだと思う。