あかんたれブルース

継続はチカラかな

三太郎は唐揚げ弁当とシャンパン



今日はクリスマス
暮れも押し迫って例年の独特な雰囲気が
ありますね。
すっかり日本の師走の風物詩に定着してる。
といってこのクリスマスが
日本人に定着したのは
終戦後の進駐軍の影響から
その発信源は飲み屋飲食店からだそうです。
それが家庭に定着するのは
数年の時間差を要したことは想像できますよね。

クリスチャンでもない日本人が!
と嘆かれる方々もいますが、まあいいんじゃない。
お祭だし。

こういう一般化し定着して定番化する常識
とか「普通」という認識。
そういうのって意外と歴史は浅かったりします。

今朝、『マッサン』でピン子がひょこひょこ
出てきて孫に対する愛情を力説してましたが
あの孫は養女なんですよね。
あそこまで血縁や筋目にこだわるのに
血にはさほどこだわらない?
ドラマの整合性はともかくも、まあ実は
今いわれてるほど戦前までは
そんなに血縁のこだわりはなかった。
というのは養子はたくさんあったわけで、
血のこだわりではなく、こだわってるのは
「家」という形式なんだよな。
それが戦後以降なんか一人歩きしてる。
それでも納得しない人は多いものです。

この間テレビで最近社会問題化してる
空き家について、日本人の土地神話
戦後のアメリカのマイホーム主義に影響されたもの
だという解説をしていた。
これはちょっと驚きでした。

日本人の地所に対するこだわりは
もっと古く日本独特のものかと思っていたのですが
さにあらず、そういうのは武士の感覚で
大方が農民で大方が小作人だったではないかと。
そうだよねえ、江戸庶民はだいたい長屋暮らし
だったわけだもんなあ・・・
まあ都市部と地方の格差はあったとしても
地方でも田畑イコール収穫ではあって収入。
即それが不動産という意識は遠い。
だいたいが幕末から明治にかけて
貨幣経済に大きく傾いてから国民のほどんどが
土地を手放してしまった。
そして仕事を求めて都市部に移動していった。

土地神話安全神話などなどいろいろ
私たちは自分達で拵えた価値観に縛られて
ガンジガラメになっているフシが多々あるものです。

そんなこんなでメリークリスマス
七面鳥じゃなくてチキンを咥えて清この夜