あかんたれブルース

継続はチカラかな

恋愛と恋は別モノか?

それでも花は咲いていく 5


恋と恋愛は違うという意見がある。
たとえば『それでも花は咲いていく』の
セクシャルマイノリティーのそれぞれのケースは
成就の見込みのない一方的な妄想が主体で
これは「恋」でしかないのではないか。
恋愛の場合は
そこから互いが努力して完成をめざすもの
つまりあの美形のフランスのカップルは
セクシャルマイノリティーであっても
紛れもなく恋愛であるという意見です。

こうなると片思いは恋愛にはカウントされない。
ただし、どうなんだろう
日本には葉隠れから忍ぶ恋(片思い)こそが
真実の、永遠の愛であるという思想もある。

そこで立ちすくんでいるときに
カンニング竹山のプロセス論が光るわけです。

恋愛と結婚は19世紀後半まで
まったく別モノだったといいます。
日本だけでなく欧米でも

近代化のなかで
平等思想や民主主義は甘美で
そりゃまったくそうだ、異議なし!
と思うけれど
それですべてを割り切ろうとするには
現実世界は矛盾が多過ぎるのではないか?
その矛盾が履き違えられ、拡大解釈・飛躍
によって現代社会に渦巻いているのではないか?

恋愛と結婚もイコールのほうが
座りがいいのでしょうが
結局それがみんなのクビを締めていることに
ならないのかなあ
まあそれでいけるんだったらこしたことはない。
けれどもそれって宝くじみたいなものだし
そこから学ぶのは「あきらめ」という美学だなんて
なんともはや・・・

前回たとえにだした
『恋におちて』(1984年)のアプローチは
金妻~不倫ブームとなってバルブ崩壊後も
れっきとした文化として根付いていますが
(ただし大義名分はない)
はたしてどこまで真に受けていいものか
ま、当事者にとっては
よけいなお世話なんでしょうけどね。

昨年の夏頃でしたか木曜日の晩の9時10時に
不倫ドラマがオンエアされていました。
受け取りかたはそれぞれでしょうが
主人公たちはそれぞれ真面目(?)に
その恋愛に向き合っていたんだと思う。
封印された不倫観から30年
ようやく「純愛」に対する意識が認められてきた?
まさかそれが韓流ドラマの影響だなんて思いたくは
ありませんけどね。
誰しもが渇望しているのは確かだと思う。

現代不倫は戦後の都市化によるとされている。
農村部から仕事を求めての人口移動
そのなかでたとえば、バスガイドと運転手
この関係が不倫の魁だとか。
女性の社会進出とも密接に関係しているよですが
それ以前は、地方には「夜這い」があった。
なんのことはない恋愛とか性に対する
倫理観なんて、ここ100年50年に拵えられたもの
なんだな。
この間の土地神話と同じ。
血縁に対するこだわりも同じ。

人間が生きていくなかで
さまざな雑音がある。
それすべてを「情報」といって有難がっていると
知らず知らずに足をすくわれることがある。
それ以前、信じて疑わない一般常識とか通念とやら
これに足並みを揃えていかないと
いろいろと不都合はあるのですが、
それとは別次元で考えてみる考えて往くことは
大事なんじゃないかと思う。
迂闊な人生でもやっていけないことはないけれど
それですめばいいけれど
なんかね、たよりなくないか。