あかんたれブルース

継続はチカラかな

その位置は下から何番目か

それでも花は咲いていく 8


昨日の続き
やたらと自分を卑下して大げさに表現するのが
流行り、というと変ですが、そういうのがある。
ただ、その人の不運も
その人には凄いかもしれないけど
もっと悲惨な人にとっては、しらける。わけだ。
だからそういうのは考え考えいわないと
あかんと思う。

テレビとかのドラマかなんかで
なんらかの事情ではやく社会に出たいという
若者がいたとする
彼の理解者、金八先生とか親とかは
「よしわかった」と頷くと
必ず判で押したように
「でも高校だけには行かなければならない」
という台詞が付いてくる。
現代社会の常識からすればしごくもっともな
交換条件のように思えます。が、だ
まるで高校卒業してないとダメみたいだ。
確かに茶の間は頷くお約束なんだろう。掟みないな。
たださ、
こういうドラマを観ていた中卒のものたちは
どういうふうに受け取るんだろうね。
ま、ガビーンとくる人ばかりじゃないだろうけれど
こういうのってガサツというか迂闊なんじゃ
なかろうかと、思う。
それを比較したら東映の不文律のほうが
まだ情があるんじゃなかろうか、とか。

いまの世の中たいがい高校には行く
その前提で、いかなかったものは自業自得なのか?
いけなかったものは・・・そこまでは知らない
でタカを括るのか?

上海に売られた女と同じかよ。

教育改革運動に参加して思ったのは
どの部分を捉えて改革するのかということでした。
学生を三角形のピラミッドにみたて
上辺の優秀なものたちをもっと伸ばす改革か
底辺のオチこぼれ集団を救済するものなのか
それとも中間層の曖昧な層に活路を見出させる
ものなのか・・・
それによってまったく異なる改革になる。
もっとも、自分はどの階層なのか
自分の子供は・・・で捉えかたも変わるしね。

中島みゆき「ファイト」を持ち出すまでもなく
学歴差別が純然と蔓延っているのは
御存知の通りです。だけでなく
文系理系の逆差別だってあるわけだ。
そういうことが無意味でよくないことは
誰しも理解しているはずなのに
結局それに組している。
よき理解者たる先生も親も自分もだ。

ふと自分の記憶のなかで
そういうのを真っ向から否定してみせたのは
宮崎アニメの『耳をすませば』(原作柊あおい
ぐらいなのかと思った。
主人公はバイオリン職人を目指して
中学を卒業すると同時に留学する。
なんて早熟な!と、眩暈がしました。
あれじゃ女子が惚れるよな。
それに比べたら自分なんて・・・無様なものだったと。

息子が来年大学受験です。
わたしの子育ても佳境に入っている。
もし彼が大学にはいかない
もっと違う生き方を見つけたとなったら
わたしは諸手をあげて応援するでしょう。
ただ、残念なことに息子はまだまだモラトリアムで
そういうものを見出してはいない。
こればっかりはねえ(汗)

よく若い連中にいってきたのは
30までに好きなことを見つけられたら御の字だ
ということでした。
たぶん息子にもそういうのでしょう。

人生なんたってロマンとダイナミズムだかんね!