あかんたれブルース

継続はチカラかな

ノスタルジーを超えて



岡野雄一氏原作の
ペコロスの母に会いに行く
を読み終えました。
親の介護、それに痴呆という問題
わたしだけでなく多くの人が抱える
抱えるだろう問題をテーマにしているのですが
なんとも心温まるやさしい作品です。
ちょっと救われるやさしくなれる作品。

ボケも悪くない。

なんていう言葉が添えられていますが
「なんてことを!」と怒り出すまえに
まず読んでみてくださいな。

作品はボケてしまった母との日々の交流
だけでなく、懐かしい記憶を呼び起こす
現実との間のタイムトラトラベルのような物語なのだ。
それをファンタジーといっていいのか

岡野さんの母はときどき施設から行方不明になる。
どうも亡父と一緒に違う次元に
散歩にいってるようなのです。

遠い昔、岡野さんがまだ幼い頃
そのふたりを目撃しているよなのです。
すれ違ったような、振り返ったとき
見覚えのあるあの老人は・・・

この父親っていうのが生前はどうしようもない人で
それがねえ・・母親はボケてそれをすべて赦してる。
なんかそれなりにラブラブなのだ。
うちの母親もそうです。
うちのあの親爺の恨みつらみを一言もいわない。
いわなくなった。
真面目な人だったとか頑張り屋さんだったとか
いいことばかりしか言わない、記憶に残っていない。
こうやって幸せに生活できてるのも
父ちゃんの(遺族年金)おかげっていってるもんね。
(死ぬ前に復縁させて手続き大変だったんだぞ!)
それでも
確かにボケもわるくない。

ペコロスの母に会いに行く』のなかで
施設の介護士が岡野さんの母が書いた手紙を
もってきます。なんだろう?
あて先は自宅なのですが(はっきり書いてある)
それは昔住んでいた古い住所でした。
今は市町村合併でそういう住所は存在しない。
中身はミミズが絡み合った小さな文字で
何を書いてあるのかわからない。なんなんだ?
「はやく出しておくれ、間に合ってくれればいいけど」
と母親はせかすといいます。
ベットの脇にあったその手紙
いつの間にか内容不明のその手紙は消えていた。
誰かが出してしまったのだろうか?

さてさてこの話のオチは・・・

号泣間違いなしの太鼓判だ。


生きていることは確かにせつない。

いいこともわるいことあります。
でもねえ、こういうことをいうと
気を悪くする人もいるかもしれないけれど
考え方次第、気持ちの持ち方次第ですよ。
自分だけって考えはよくないよ。

ペコロスの母に会いに行く

ノスタルジーに浸るだけでなく
きやすめの他人事ではなく
ふっと肩の荷をおろしてくれる
気づきを与えてくれます。
お勧めです。