あかんたれブルース

継続はチカラかな

テロと聖戦をのごっちゃ煮



朝起きたら人質殺害のニュース
ほとんどの人が「まさか」と思ったことでしょう。
悲観的な見方は一応にされていても
どこかで楽観視していたと思う。
そういう理屈は通用しないんだよねえ

各報道のなかで共通する驚きの対応に
なんか白々さえ感じてしまいます。

また、
これを受けてマタゾロ安倍批判に誘導しようと
しているTBSとテレ朝を眺めながら
日本が抱いてきた戦後の
安全保障とか価値基準とか常識が
根底から揺らぎ見直さなければならない
時期にきたんだと痛感します。

イスラム国に対して卑劣云々と罵倒しても
そんなの通用しないんだ。
それは中国に対して、韓国・北朝鮮に対して
国際法とか常識が通用しないように。
そういう意味での国際化がある。

イスラム国の非道に対して憤りを感じるのは
いいけれど、なにを今さらとも思う。
死んだ子の歳を数えるなんて諺がありますが
後講釈でああだこうだといっても仕方ないんじゃ
ないでしょうか。
イスラム国とイスラム圏を一緒にしたり
歴史解説もナンセンスかとも思います。

話をまぜっかえして身動きとれなくする手法。
無責任な解説に辟易する。

と同時に、戦前の日本の愚行とされている
シベリア出兵や山東出兵、満州事変などには
(無辜の)邦人の虐殺事件があったわけで
その規模もその殺害方法を
イスラム国以上に卑劣極まりなかった。
それが国民感情の怒りとなって
後押しとなったわけです。
それを利用した云々は横に置いても
国際化にはそういったリスクがある。

日本人の大いなる違いは
最善を尽くせばリスクは回避できるという
妄想に陥ってることで、
それを平和ボケというのでしょう。

リスクを最小限にすることはできても
どんなものにもリスクは伴う。
これが現実じゃないか。
いまさら幕末に戻して鎖国か開国か
なんて議論に戻すことはできない。
なにかあったら責任を追及していればいい
という時代から脱却することが
日本人の民度、意識の向上じゃないのでしょうか。
別に安倍さんがすべて正しいわけじゃなく
この難局をどう乗り越えていくかは
私たち国民の意識改革が大きな鍵だと思います。

動揺しているマスコミの倫理観
こういう稚拙な行為とは一線を画す時機が
きているんだと思う。
そこから生み出される雰囲気に呑まれたり
流されたりしてはいけない。
ハンドリングする主導権は常に国民にある。
すべては国民の責任なんだ。