あかんたれブルース

継続はチカラかな

金玉のナマぬるい感触



お昼のBSで『金環蝕』をやってました。
1966年に発表された石川達三の小説を
1975年に映画化(山本薩夫監督)
九頭竜川ダム汚職事件をモデルとした
自民党総裁選に端を発した政界裏事情を描く問題作。

政界実録モノで登場人物にはモデルがいて
演じる役者と実在の人物とを照らし合わせるのも
面白いゲームです。
佐藤栄作の神田隆が一番似ていました。
田中角栄中谷一郎はお笑いでしたけどね。

宇野重吉仲代達矢の役者と俳優の対決
宇野重吉の役者が一枚上手だった。 

こういった実録系政界財界の暴露ドラマには
70年代に華麗なる一族(70年、映画化74年)
がありますが、なんか時代を感じた。
吉田学校とか日本の首領とか

無論、政財界の癒着とか汚職とか
談合、不正な政治献金などなど今でも健在
なのでしょうが・・・

この古いというのは時代性と照らし合わせて
のことで、それは以前から指摘している
広瀬さんを代表する反原発運動の手法にも
いえることなのですが、
かといってそれは手法についてであって
実際にそれを全面否定はできないつらさもある。

この「古い」というキーワードを
マスコミ、ジャーナリストに当てはめると
その姿勢は「現政権を批判する」という
一点のお約束で、即それが
マスコミのあるべき姿勢となっていることです。
そこに正義があるのだと。

言論の自由報道の自由もそこに裏付けがある。
朝日などの反日報道の大義名分をそこにある。
だかかそにも愛国心なんて言い訳もできる
わけだ。ただし、
そういうキレイ事だけではなく
そこに読者とか視聴者の存在も見逃してはいけない。

読者とは支持する層と購買者(消費者)で
当然そこにはソロバンがある。
また、視聴者にはクレーム対策でもあり
同時に視聴者はバカなのでグルメとゴシップと
批判してれば喜ぶという
プロのマニュアルがあるのも確かです。

そういうのがもう古いんだなあ
ネットの普及でそれが堅調に現れてしまった。
大新聞のブランドももう通用しない。
日刊ゲンダイと同じレベルに堕ちてしまった。

なにより読者が視聴者が飽きてきている。
その手口や作りがミエミエなのだ。
左寄りだったらリベラルっていう図式は
もう通用しないのだ。

これは社会が変わったとうのではなく
時代性の変化なんだと思う。
社会性自体は不変であっても
時代は変化している。

関口宏の『サンモニ』の「風をよむ」
はやく読んで
はやく方針修正してほしいものです。
腐っても鯛、名門毎日新聞の復活を祈る。
朝日の失墜の今がチャンスだぞ!
はやく正気を取り戻せ!