あかんたれブルース

継続はチカラかな

お手軽な知性の投売り

金玉のナマぬるい感触 3


邦人人質解放の最悪の悲報をうけて
安倍首相が涙を流したそうです。
わたしはその映像をみていません。

それに対して、
人気取りの嘘泣きパフォーマンス
と捉える人は・・・いるんでしょうね。
騙されたいけない!って

そうだろうか?
安倍さんがどこまで後藤さん個人に同情したかは
わかりませんが、救出に必死になっていた
その結果に対して、またテロの非道に対して
悔し涙が出たとして、まったくおかしくない。
ましてや一国の宰相として。

数年前、中川昭一議員が自殺したとき
鈴木宗男が号泣していた。
鈴木と中川家の確執を知るものであれば
また鈴木宗男のキャラクターと照らしわせて
あの涙を穿った人もいたでしょう。

わたしは素直に受け取りました。
そういうと小バカにされる。
そこには「疑う知性」なるものがベースにある。
そういうのが足らんわたしはお人好しという
図式で片付けられてしまいます。

昨日『金環蝕』の感想として
「古い」と表現しました。
社会自体が悪徳に支配されていることに
異存はないのです。
ただ、わたしは時代性として
そういう表現、受け取り方、認識は古いと思う。
そして単純で直線的すぎて薄っぺらくて
なによりワンパターンのマンネリだと思う。

巨悪の首魁みたいなイメージがある。
児玉誉士夫とか笹川良一とか
岸信介とか田中角栄とか
どうもイメージ先行してるきらいがある。
かといって彼らを善人とはいいませんよ。

なんか悪の偶像に祀り上げられているように
思うのです。

ジャーナリストの鎌田慧
炭鉱労働争議に対する吉田磯吉の姿勢を
権力側につく暴力弁という捉え方をしていた。
に対して猪野健治はその稚拙をたしなめていた。
どっちに軍配があがるか
断然後者の猪野健治だ。

うがった見方とは、本来
物事の本質を的確に捉えた見方をするという意味。
その見方が本当にうがっているんか?

本質を捉えるのは骨がおれるものです。
でもいつまでもこのワンパターンな
ものの見方、卒業したらどうだろう。
松本清張が死んで何年になる?

偶像にカモフラージュされて
本当の悪徳が見逃されていやしないか?
疑う知性?
そんなの知性しゃない。